七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。「鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。」
                      (ヨシュア記
516   神はイスラエルの民にカナンの地を与えると約束されており、モーセの後継者ヨシュアに「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる」(15)と言って、ヨルダン川を渡って約束の地に入ることを命じられた。契約の箱を先頭に川に入ると、紅海を渡った時と同じように、水が壁のように立って干上がったので、民は無事に渡り終えることが出来た(31417)。だが、カナンの地に入って、どうしても攻略しなければならないのがエリコの町である。そこは頑丈な城壁で囲まれており、城門は攻撃に備えて堅く閉ざされていた。
 そのとき神がヨシュアに命じられたのは、兵士が皆、町の周りを一周するのを6日間続け、7人の祭司が雄羊の角笛を吹き鳴らして先導し、7日目には町を7周して、雄羊の角笛を吹き鳴らすと共に、民が一斉に鬨の声をあげることであった。それらの行為は宗教儀式のようで、戦闘のために直接的な効果があるとは思えない。しかし、ヨシュアはそれを祭司と民に告げた。加えて、「わたしが鬨の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない」(610)とも言った。それは、人間の勝手な思いが付け加えられたり、呟きや疑問の声が出るのを防ぐためであろう。
 こうして、ただ神の言葉に従って、7日目に7度回って祭司が角笛を吹き鳴らし、民が一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民は町に突入して占領することが出来た。それは、民の力によるのではなく、神の言葉を信じて従ったからであり、主の軍(515)が堅固な城壁を崩したからであった。鬨の声は神の勝利の合図であり、民の信仰のしるしであった。
 私たちは個人生活や教会の歩みにおいて、打ち崩すことが困難と思える城壁の前に立たされる。だが、エリコの城壁を崩された神は、御子イエス・キリストの十字架と復活の愛と力をもって戦って下さり、輝かしい勝利を収めて下さる。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」(ヘブライ111)である。私たちは、約束を信じて、命じられるままに、一見無駄とも思える礼拝を続けて、讃美の鬨の声をあげさえすればよいのである。「わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」(ロマ837)。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年6月10日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨシュア記6:1−25
 説教題:「鬨の声をあげよ」
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