そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
                         (ヨハネによる福音書2022,23   主イエスが復活して、女の弟子たちに現れた日の夕方、その知らせを聞いた弟子たちは、喜ぶどころか、面倒なことになったと考えて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。私たちもまた、復活の主に出会わず、聖霊を受ける前は、このように、自分の心の戸に鍵をかけて、起こっている事実を受け入れようとしない。
 
だが、主イエスはそのような弟子たちを放って置かれない。復活の主は様々なガードを越えて、弟子たちの真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように(シャロ−ム)」と言われた。これは日常の挨拶の言葉ではあるが、主の復活を信じられないために不安と恐れの中にあった弟子たちを罪から解放し、真の平和をもたらす言葉である。
 主はそう言いながら、十字架に釘付けされた手と、槍で刺されたわき腹をお見せになった。そこには、人間の罪によって殺された方が、死に勝利して立っておられたのだ。それは紛れもなく肉を裂き、血を流された主イエスであるが、同時に、新しい復活の体に甦られた主であった。弟子たちは恐れから解放され、安心して、心の戸の鍵も開かれたのである。この主イエスは、私たちの礼拝の場にも来られる。
 主イエスは続けて、弟子たちに息を吹きかけて聖霊を与えられた。「息」は「霊」とも「命」とも訳される語である。主は弟子たちに聖霊を注ぎ、新しい命に生きる人間として誕生させられたのである。そして、そのように聖霊を受けて新しい命に甦った者たちの群れである教会には、罪を赦す権威を託されるのである。私たちもまた、復活の主イエスに出会うことによって、その福音を宣べ伝えると共に、罪の赦しを得る悔い改めを告げる使命が与えられる。弟子たちは「主を見て喜んだ」とある。私たちも礼拝において、復活の主イエスに出会い、喜びに満たされると共に、人々の罪が赦されるのを見て喜ぶ幸いを与えられるのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年6月3日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネ20:19−23
 説教題:「聖霊を受けなさい」
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