ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣き出した。                           (マルコによる福音書1472 

 主イエスが大祭司の館で裁判を受けておられる時、ペトロは中庭で主イエスを知らないと言った。私たちは、どんなことがあっても「主イエスと一緒にいる」ことが出来るだろうか。
 主イエスは逮捕される前に、「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われた。するとペトロは「たとえ御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と断言した(142731)。既にここに、主イエスと一緒にいないペトロの姿を見ることが出来る。彼は主の言葉を否定して、自己主張している。
 主が逮捕された時、ペトロは勇気をもって大祭司の屋敷の中庭に入ったが、主イエスとは遠く離れて、下役たちと一緒に座っていた(1454)。彼は、ここでも主イエスとの間に距離を置いて、安全圏にいる。ここに私たちの姿を見ることができるのではないか。
 ペトロが火にあたっていると、大祭司に仕える女中の一人が来て、「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と言う。ペトロは主イエスから一緒にいることを望まれて弟子になった。その事実を否定することは出来ない。私たちと主イエスとの関係も同様である。だが、ペトロは女中の言っていることが分からないと言った。女中が周りの人々に言い出した時も、打ち消した。しばらくして、居合わせた人々が「確かにお前はあの連中の仲間だ」と言うと、呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓った。こうして、主イエスとの距離をますます広げて行き、罪の深みへと落ち込んで行った。
 ところが、主イエスはあらかじめペトロの弱さを御存知の上で、救いの道を備えておられた。主はペトロのために、鶏の声を備えておられたのである。こうして、標記のように、ペトロは主の深い愛を知って泣いた。ペトロは主イエスと一緒にいることが出来なかったが、主イエスは初めからずっと、ペトロと一緒におられたのである。主イエスは罪深い私たちとも、ずっと一緒にいてくださり、私たちと共に働いてくださる(1620)のである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年3月25日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコ14:66−72
 説教題:「イエスと一緒にいる」
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