「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。
                          (マルコによる福音書1052 

 盲人のバルティマイは、主イエスの標記の言葉によって目が見えるようになった。主が言われた「あなたの信仰」とはどのような信仰なのだろう。
 彼は盲人であるため、道端に座って物乞いをするしか生きるすべはない。主イエスが通られると聞いて、またとないチャンスだと、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫ぶ。人々が叱りつけて黙らせようとしても叫び続けた。彼には誇れるものは何もなく、他人の憐れみに依存するしか生きられないという自分の姿が見えていた。金持ちの男(101722)や、弟子のヤコブとヨハネ(103545)には、自分の罪深い姿が見えていなかったのとは対照的である。
 主イエスは十字架が待つエルサレムへと向かう途上にあったが、バルティマイの真実の叫びを聞いて立ち止まり、「あの男を呼んで来なさい」と命じられた。人々が盲人を呼んで、「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」と言うと、彼は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。まだ目は見えていないが、これまでの生活を捨てるかのように立ち上がって、主の許に来た。この姿には、主イエスに対する信頼と喜びが表れている。彼は主の招きの言葉によって、信仰を大きく前進させられたのである。
 主が「何をしてほしいのか」と問われるままに、「目が見えるようになりたいのです」と答えると、主は「目が開け」と言われるのでなく、「行きなさい」と命じられた。これまでの不自由な生活から解き放って、主と共に歩む新しい生活へと出発させられたのである。この言葉によって、心の目がぱっちりと開かれたので、肉体の目も開かれたのである。
 このようにして、憐れみを求めるしかないバルティマイの真実の叫びを主イエスは信仰と認め、十字架の主に従うという本物の信仰へと導かれた。私たちも、主の目から見るならば、心の目が開いていない哀れな存在であるが、主は私たちの叫びや祈りを聞き逃されない。そして、私たちを招いて、「あなたの信仰があなたを救った」と言っていただけるように、私たちを立ち上がらせて下さるのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年3月4日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコ10:46−52
 説教題:「信仰があなたを救う」
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