「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」                          (マタイによる福音書223739 

 イエスの時代のユダヤでは、律法の掟が600以上もあったと言われ、それらを忠実に守ることが正しい生き方であるとされていた。そうした中で、律法学者がイエスに「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」と尋ねると、主は標記のように答えられた。
 
第一の掟は申命記65の引用で、人が全存在をもって神を愛することを求めるものであるが、神の選びを受け苦難の歴史の中で多くの恵みを受けたイスラエルの民は、形の上ではこの掟を尊重していながら、実態は心を尽くして神を愛することになっていなかった。私たちもまた、独り子イエスを通して大きな神の愛を受けていながら、感謝をせず、神をないがしろにし、神の愛に応えることを怠っている。もちろん、私たちには、神の愛に見合うような愛を差し出すことは出来ないが、パウロが言うように、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げること」(ロマ121)、即ち、真実の礼拝が求められる。
 第二の掟はレビ記1918の引用で、十戒と同様に、神を愛することと平行して隣人を愛することが求められている。それは、神と隣人とを同列に並べるということではないが、神を愛することと、隣人を愛することが切り離し得ないことを示している。「自分のように」との言葉が添えられているが、これは自己愛を優先するという意味ではなく、自分が神から愛されている存在であることをわきまえた上で、大切な自分と同様に、隣人の具体的な必要を満たせ、ということである。
 主は続けて、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」と言われた。つまり、聖書全体がこの二つの掟にかかっており、これらに従うなら、神の御心からぶれない生き方が出来るのである。だが、私たちは、これらを守っていない罪深い者であることを思い知らされる。
 しかし、主イエスはこれによって、単に聖書の適切な要約をされたとか、理想の生き方を示されたということではない。主は十字架への道を歩まれる途上でこれを語られた。主は御自分の命を私たちのために捨てることによって、神と人との関係、人と人との関係を、もう一度立て直そうとしておられるのである。だから、この言葉は冷たい掟ではなく、主による救いの御業の宣言なのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年2月26日  山本 清牧師 

 聖  書:マタイ22:34−40
 説教題:「神と隣人を愛する」
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