「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。   (マタイによる福音書175 

 主イエスがペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子だけを連れて高い山に登られたとき、主イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。この主イエスの輝きは何を表すのか。
 
主イエスはガリラヤでの伝道活動で、神の国が近づいたことを告げ、多くの奇跡の業を行なわれたので、人々の期待が次第に高まっていた。その中で、主はご自分の死と復活の予告をされた後に、この出来事があり、この後は十字架が待つエルサレムへ向かわれることになる。そのような、主イエスの公生涯の転換点で、主イエスの真の姿が示されたのである。
 
では、そこで示されたのは、どのようなお姿か。原文では「見よ」という言葉が3回使われているので、その言葉に導かれて見て行く。
 
1は、「見よ、モーセとエリヤとが彼らに現われ、彼と話していた」(直訳)である。モーセは律法を代表し、エリヤは預言者を代表するから、二人は旧約聖書を代表する人たちである。つまり、主イエスは、旧約以来の救いの御業を十字架と復活によって完成することを二人と語り合っておられたのである。
 
2は、「見よ、光の雲が彼らを覆った」(直訳)である。ペトロはすばらしい光景を見て、それを留めたいと、「仮小屋を三つ建てましょう」と口走ったが、その光景は雲によって隠されねばならなかった。地上にはなお、罪の苦しみと死の支配があり、そのために主は十字架の道を進まねばならないのである。
 
3は、「見よ、その雲の中から、『これは私の愛する子、この者を私は気に入る。彼に聞け』という声がした」(直訳)である。十字架に架けて殺される主イエスこそ、神の最愛の御子であり、ここにこそ救いに道があり、この方の御言葉に聞く以外に救いはない、ということである。
 弟子たちが非常に恐れていると、主は「起きなさい、恐れることはない」と言われた。そしてそこには、イエスのほかにはだれもいなかった。モーセもエリヤも私たちを救うことは出来ない。主イエスだけが、律法と預言を成就して、救いの御業を完成してくださったのである。

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年2月12日  山本 清牧師 

 聖  書:マタイ17:1−8
 説教題:「主イエスの輝き」
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