あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。        (ペトロの手紙一 25 

 開設20周年を迎える当伝道所の年間目標として、「霊的な家に造り上げられる」を掲げた。では、どうすれば霊的な家に造り上げられるのか。
 
聖書はまず、「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい」と勧める。ここに挙げられた悪徳は、いずれも人間関係を破壊するものであり、自分を守るために、これらで自分を装うとする。だが、その鎧(よろい)を脱ぎ捨てて、乳飲み子のように無防備になれ、と言うのだ。これらを脱ぎ去って、厳しい世の中をどのように生き抜くのか。「霊の乳を慕い求めなさい」と言う。「霊の乳」とは、神の言葉と言い換えてよい。「これを飲んで成長し、救われるようになる」。そして、「主が恵み深い方だということを味わいました」とある。「霊の乳」である御言葉は、「味わう」という感覚的な表現が当てはまるほどに、現実的、体験的な恵みだということを表している。
 
次に、「この主のもとに来なさい」と勧める。そして、その「主」とは、「人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い生きた石」だと言う。ここには、十字架に架けられ殺された主イエスこそ、教会の基礎となる「隅の親石」であることが示されている。
 
その上で更に、標記のように勧める。驚くべきことに、キリストが生きた石であるだけでなく、「霊の乳」を飲む私たちも「生きた石」となって、それらが積み重ねられて「霊の家」を形成するのだ。
 
最後に、「聖なる祭司となって、神に喜ばれるいけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい」と勧める。「祭司」とは、神殿でいけにえを献げるのが務めである。私たちが献げる「霊的ないけにえ」とは、@神を賛美する礼拝、A私たち自身の体と生活、B伝道のための奉仕、である。
 以上の勧めによって、激しい努力が要求されているというよりは、大切なことは、乳飲み子のように、無心に御言葉の糧を慕い求めることである。それは、祈ることと言い換えられるだろう。「祈りの家」こそが「霊的な家」に造り上げられるのである。 

米子伝道所 主日礼拝説教<要 旨> 2012年1月29日  山本 清牧師 

 聖  書:ペトロの手紙一 2:1−5
 説教題:「霊的な家を造る」
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