人々は・・・ザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。
                 (ルカによる福音書1:
5960 

 ザカリアは妻エリサベトが男の子を産むとの天使(神の使い)の言葉を自分の理性や経験で受け止めて、素直に信じなかったため、口が利けなくされた。だが、口を封じられたことは単なる裁きではなかった。やがてエリサベトが身ごもったことを知る。そして、神が自分たちの願いを受け止めていて下さったこと、人間の不信仰にも拘わらず神の計画は滞ることなく進められていたことに気付く。ザカリアは10ヶ月の試練の時を通して、神の救いを知る新しい人間として生れ変わって、人々に救いの福音を語るための備えをさせられたのである。私たちもまた、不幸を背負ったり、困難な状況に追い込まれると、聖書に書かれていることや、神の救いの計画が信じられず、神を呪いたくなり、神を褒め称える言葉を失うことがあるかもしれない。しかし、神の救いの計画は滞ることなく進められる。約束のものはまだ与えられず、問題は解決していないかもしれない。だが、試練の時は、やがて恵みを語るための備えの時なのだ。
 エリサベトは月が満ちて男の子を産み、八日目に名を付けることになった時、親類や近所の人々は伝統と習慣に従って、父の名を継いでザカリアと名付けようとしたが、エリサベトは神の言葉に従って、標記のようにきっぱりと「ヨハネとしなければなりません」と言い、父親に尋ねると、字書き板に「この子の名はヨハネ」と書いた。二人は天使の言葉に従うことによって、伝統や習慣から離れることが出来た。
 
私たちもまた、聖書を通して新しい救いの時代が既に始まっていることを聞いている。古い慣れ親しんだ世界に留まっている方が楽に思えるかもしれないが、それでは救いの世界に入ることが出来ない。
 
ザカリアは天使の言葉に従うことによって、口が開き、舌がほどけた。その結果、神を賛美する者に変えられた。私たちもまた、神の言葉に従う時、神を賛美する口が開かれ、主を証しする者とされる。礼拝で起こっていることは、私たちが新しい救いの時代に相応しい言葉を回復されることなのである。 

米子伝道所 待降節主日礼拝説教<要 旨> 2011年12月4日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書1:57−66
 説教題:「言葉の回復」
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