「ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」         (マタイによる福音書138,9 

 主イエスは、群衆に御言葉を語るために、家を出られた(1)。それは「種を蒔く人が種蒔きに出て行った」(3)という譬えに重ね合わされる。当時のユダヤの種蒔きは、無造作に種をばら撒いておいて、その後で土を耕して種に土をかける。ある種は歩行のための道端に落ちたので、種は根付かず、鳥が来て食べてしまう。そのように他の目的のために心が支配されている人は、御言葉を受け入れず、サタンに奪われてしまう。他の種は石地に落ちたため、根が浅いので、すぐ芽を出したが、日が昇ると焼けて枯れてしまう。そのように、御言葉を聞いて喜んでも、深く根付いていない人は、苦難や都合の悪いことが起こると、御言葉から遠ざかる。他の種は茨の間に落ちたため、茨にふさがれて育たない。そのように、御言葉を受け入れても、「世の思い煩いや富の誘惑(22)」が御言葉をふさいで、実を結ばない。私たちは自分の内に、これら三種類の土地があることに気付く。私たちが反省したり、学んだり、決心しても、この現実は変わらない。
 だが、良い土地に蒔かれた種は、多くの実を結ぶ。それは、「御言葉を聞いて悟る人」(23)のことだと言われる。「悟る」とは、理解するとか納得するというよりも、聞いたことを自分のこととして受けとめ、召しを覚えて、新しい生き方を始めることである。では、どうして悟るようになるのか。第一は、種である御言葉自体が持っている力(繁殖力・成長力)による。第二は、種を蒔いた土地を力を込めて、疲れを厭わずに耕す農夫の働き、即ち、キリストが十字架の愛を込めて、悪い土地をも良い土地になるように耕して下さるからである。主は、「耳のある者は聞きなさい」と言われた。これは、良い耳を持っていないと駄目だという意味ではない。主が、私たちの頑なな心をも耕して下さり、御言葉が根付くようにし、御言葉の種が私たちの中で成長して、三十倍、六十陪、百倍の実をつけることができるようにして下さるのである。この御言葉を聞いている者は幸いである(16)。 

米子伝道所主日礼拝説教<要 旨> 2011年10月30日  山本 清牧師 

 聖  書:マタイによる福音書13:1−23
 説教題:「良い土地に落ちた種」
         説教リストに戻る