「主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」
                                    (民数記149 

 イスラエルの民が荒れ野を旅して、約束の地カナンに近づいたとき、主は各部族の代表者12人を偵察に遣わすよう命じられた。神がカナンの様子を御存知でない訳はないのだが、イスラエルの民が自分たちで偵察して、どのような判断をするかを試そうとされたのであろう。
 四十日にわたる偵察を終えて帰ってきた12人は、カナンが主の言われたように、乳と蜜の流れる豊かな土地であることを報告したのだが、同時に、その土地に住む住民が強そうに見え、町も堅固であることを述べると、それを聞いたイスラエルの人々は、またしてもモーセとアロンに対して不満を抱き、「エジプトへ引き返した方がましだ」と言い始めた。
 それに対して、12人のうちのヨシュアとカレブは、標記のように言って、主があの土地に導きいれてくださるのだから、主に背いてはならないと訴えた。これは、単に消極論に対する積極論とか、悲観論に対する楽観論ではない。同じ現実を見ながら、これまでの神の恵みを思い起こしつつ、神の約束の言葉を信じているかどうかの違いである。私たちもまた、困難な現実に不平不満を抱くのではなく、信仰の目を持って、神が共におられることを発見したい。
 ところで、主の導きを信じられないイスラエルの民に対して、主は「いつまでわたしを信じないのか。わたしは疫病で彼らを撃つ」と言われた。だがモーセは必死で執り成し、慈しみをもって赦してくださるよう訴えると、主は「赦そう」と言われて、直ちに滅ぼすことは思い直されたが、結局、四十年間荒れ野をさ迷った末、当時20歳以上であった者は約束の地に入ることは出来ず、次の世代の者たちが入ることになるのである。ここに神の厳しい裁きとともに、お言葉通りに約束が実現することを見ることができる。そして、モーセの執り成しの役割が完成するのは、イエス・キリストの到来を待たねばならない。「今日、あなたたちが神の前に声を聞くなら、・・・心をかたくなにしてはならない」(ヘブライ3711)。私たちは、今日、聞かされた神の声に聞き従うならば、必ず永遠の安息に入れていただけるのである。

米子伝道所主日礼拝説教<要 旨> 2011年10月9日  山本 清牧師 

 聖  書:民数記14:1−38
 説教題:「いつまで信じないのか」
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