『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる。』              (出エジプト記1612 

 イスラエルの民は、海が分かれるという神の大きな恵みを受けて、エジプトから旅立つことが出来たが、それから2ヶ月も経たないうちに、シンの荒れ野で食べ物が不足すると、「エジプトの国で死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに」(3)と不平を述べたてた。それに対して神は、標記のように言われ、以来、40年の旅の間、一日一人当たり1オメル(約2.3リットル)のマナを与え続けられた。
 私たちの信仰生活は、この荒れ野の旅に重ね合わすことが出来る。そこから学ぶべき第1の点は、私たちもイスラエルの民と同様に、目の前の苦しみや困難に心を奪われて、不平を言ってしまいがちであるが、神は、私たちの苦難の多い荒れ野の旅においても、必要なマナ(命の糧)を備え続けて下さるということである。
 学ぶべき第2の点は、神が、「あなたたちはそれぞれ必要な分を集めよ。だれもそれを翌朝まで残しておいてはならない」16,19)と言われたことで、「主の祈り」でも教えられているように、神の言葉を信頼して、「日用の糧を今日も与えたまえ」と祈るだけで、明日のことまで思い煩ってはいけないし、思い煩う必要がないということである。
 学ぶべき第3の点は、「六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている」(5)「明日は休息の日、主の聖なる安息日である。…余った分は明日の朝まで蓄えておきなさい」(23)と言われ、その通りにすると、「朝まで残しておいたが、臭くならず、虫も付かなかった」(24)ことで、これは安息日には仕事をせずに礼拝を出来るようにして、命の糧である御言葉の養いを受けられるようにとの配慮であった。このように、神は私たちの肉体的、霊的な命の糧を備え続けて下さる。
 後に、主イエスは「わたしが命のパンである」(ヨハネ635)と言われた。神は私たちの罪の贖いのために、御子イエスを送って下さった。私たちは主イエスの肉を食べることによって、罪の奴隷から解放され、出エジプトを実現させていただいた。私たちは主の日ごとに、この「永遠の命の糧」を主から与えられている恵みを覚えたい。

米子伝道所主日礼拝説教<要 旨> 2011年9月11日  山本 清牧師 

 聖  書:出エジプト記16:1−16
 説教題:「天からのパン」
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