イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。・・・彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。(出エジプト記22325 

 イスラエルの民がエジプトに400年余寄留しているうちに、人口が増加して、エジプト王が脅威を覚えるほどになると、王はイスラエルの人々に強制労働を課すとともに、生まれる男の子を殺すように命じた。
 そんな中で、レビ家に男の子が誕生した。3ヶ月の間は隠していたが、隠し切れなくなって、パピルスの籠に入れて、ナイル川の葦の茂みに浮かべた。そこへ、王女が水浴びに来て籠を見つけ、赤ん坊を発見する。その子がヘブライ人の子だと分かったが、ふびんに思い助けた。その様子を見ていた男の子の姉が、乳母を呼んで来ようと申し出て実母を連れて来た。こうして、その男の子は、ヘブライ人でありながら、王女のもとで育てられることになった。この男の子こそ、後にイスラエルの民の出エジプトを導くモーセである。ここに、神の不思議な計らいを見る。
 このモーセが成人し、同胞愛と正義感に目覚め、ある日、エジプト人にいじめられているヘブライ人を目撃し、エジプト人を殺害してしまう。翌日、ヘブライ人どうしで争っているのを仲裁しようとしたが、信用されず、王からも追われる身となって、挫折を経験し、ミディアンの地へ逃れ、そこで羊飼いとなって暮らすことになる。モーセはそこで、悔い改めと訓練の時を過ごし、神の召しに備えさせられることになった。
 その間もエジプトにおけるイスラエルの人々の苦役は続いたが、標記のように、神は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を忘れられることなく、御計画の時が満ちるのを待って、モーセを召し出されるのである。
 神は、人類を罪の奴隷状態から救い出すという遠大な御計画を、イスラエルの民において始められ、イエス・キリストの十字架と復活において決定的な御業をされ、今は、教会を通して世界中で救いの業を進めておられる。私たちの身の回りの状況や教会の現状からは、そのことが見えにくいが、神は今も変わらず愛と慈しみをもって、「私たちの出エジプト」の御業を進めておられる。そのことを、イスラエルの出エジプトの出来事を通して確信することが出来る。

米子伝道所主日礼拝説教<要 旨> 2011年8月7日  山本 清牧師 

 聖  書:出エジプト記2:1−25
 説教題:「神による救出」
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