「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」(使徒言行録1511 

 神がユダヤ人の父祖アブラハムに、子孫の繁栄を約束し、割礼を受けるべきことを定めて以来、ユダヤ人にとって、割礼は神の約束の客観的なしるしであった。だが、イエス・キリストが来られ、十字架と復活による救いの御業をされ、教会が誕生して、福音がユダヤ人以外にも宣べ伝えられるようになって、異邦人の中にもキリストを信じる者が増えてきた。そうした中で、ユダヤ人で信者になった者たちの中から、異邦人も救いのしるしである割礼を受けるべきだと主張する者が現れた。一方、アンティオキア教会で異邦人伝道に取組んでいたパウロたちは、その必要がないとして意見の対立が生じたため、初代教会における最初の教会会議がエルサレムで開かれることになった。
 議論が重ねられた後、まず使徒のペトロが立って、先に異邦人の百人隊長コルネリウスが、聖霊の導きによって洗礼を受けるに至った出来事(使徒10章)を念頭に置きながら、標記のように、主イエスの恵みによって異邦人にも救いが及んでいる事実を述べ、パウロたちも同様の事実を話した。続いて、長老のヤコブは、アモスの預言の言葉を引用しながら、破壊された神殿に代わって教会が建てられ、ユダヤ人だけでなく、主を求める異邦人も礼拝を行なうようになったことを語った。このようにして、神の救いの事実と御言葉の裏づけをもって、割礼が救いの達成のために必ずしも必要ではないとの結論に達した。このことは、キリスト教をユダヤの民族宗教から世界宗教へと歩み出させることになった。
 この結論は割礼の問題にとどまるものではなく、私たちの救いの根拠として何を頼みとするべきかということを明確にした。私たちは、イエス・キリストの福音を信じること以外に、この世の地位や財産、科学や道徳(正しい行い)、仕事や家庭など、一見頼りになりそうなものに頼ろうとする。しかし、そこには罪からの救いはなく、真の自由はない。神は主イエスによって私たちを罪の縛りから解放して下さった。この福音に身を委ねることによって、真の自由へと解放され、希望に満ちた広い世界へ歩み出すことができるのである。神はその救いの業を異邦人である私たちの身の回りにおいても、既に進めておられる。

米子伝道所主日礼拝説教<要 旨> 2011年7月24日  山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録15:1−21
 説教題:「異邦人にも聖霊を」
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