「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。そこで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。・・・」
                   
(使徒言行録62,3 

 初代の教会で、弟子(信者)の数が増えるに伴って、ギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスト=外地から引き揚げて来たユダヤ人で、ユダヤの日常語であるアラム語を理解出来なかった)から、やもめへの日々の分配(奉仕)のことで苦情が出された。言語や生活習慣の違いがコミュニケーションの不足を生んだのであろう。教会はこの苦情に、どう対処したのか。 
 標記に提案されていることは、教会の組織化と言えることであるが、注目しなければならないのは、組織化自体よりも、@何のためにそうするのか、Aどのような人を奉仕に当らせようとしたかという点である。
 
まず、何のためかというと、「神の言葉をないがしろに」(2)せず、「祈りと御言葉の奉仕に専念する」(4)ためである。日々の分配の奉仕を軽んじてよいというわけではないが、教会で問題が発生した時に、まず気付かなければならないことは、「祈りと御言葉」が疎かになっていないかということである。
 
次に、どのような人を奉仕に当らせるかというと、「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人」が条件とされている。これは言い換えれば、神の御心を第一に、キリストに全てを委ねた生き方をしている人かどうかということである。問題が発生した所には、人間の弱さ、罪が潜んでいる。それを解決するのは、人間の指導力、判断力、学識、事務処理能力などではなく、キリストの赦しと愛の実践である。
 
使徒たちは、選ばれた七人のために祈って手を置いた(按手した)。教会の奉仕は人間的な能力によって行なわれるのではなく、その務めを果たさせて下さる神の導きによるからである。
 
こうして、「神の言葉はますます広まった」(7)という。神の言葉が重んじられ、これに聴き従うことによって、聖霊が働いて、解決の道が開かれると、福音の宣教も進むのである。

米子伝道所主日礼拝説教<要 旨> 2011年7月3日  山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録6:1−7
 説教題:「霊と知恵に満ちた人」
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