五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。                           (使徒言行録212

 聖霊とは、「父なる神と、子なる神から出る霊で、神と本質を同じくするもの」(永井春子『キリスト教教理』)で、「唯一の真の神が、私たち一人ひとりに関わられる時の特別な存在様式」であって、「今日私たちのただ中で働いている神、行動する神と言ってよい」。「その点では、力をもって私たちに関わって下さるお方であると言えるが、私たちが自由に操作できる単なる力やエネルギーのようなものではなく、人格をもった神であり、信仰の対象である。」(以上、久野牧『キリスト教信仰Q&A』)。
 聖霊について、二つの問いを聖書に投げかけてみる。
 第一の問いは、「私たちにも聖霊が降るのか」。――使徒たちに聖霊降臨の出来事が起こった時、彼らにその資格があったとか、準備が整っていたわけではない。彼らはただ、「心を合わせて熱心に祈っていた」(114)のと、「一同が一つになって集まっていた」(21)だけであった。それは、主イエスの十字架によって、自分たちには何の誇るべきものがない罪人であることを、身に染みて知らされたからであり、ゼロにおける一致であって、祈るほかなかったのである。そこに聖霊は降った。また、使徒言行録の中には、主イエスに敵対していたパウロが、聖霊に導かれて180度変えられたり、異邦人が聖霊の働きによって信仰に導かれた事例が多く記されている。預言者ヨエルも、「わたし()の霊をすべての人に注ぐ」(使徒217)と言っている。だから、私たちのような者にも聖霊は降るのだ。
 第二の問いは、「私たちは聖霊に満たされて、何が出来るのか」。――聖霊の働きの第一は、使徒言行録の中の様々な例で見るように、キリストを信じさせて下さること。また、聖霊は「弁護者(助け主)」「真理の霊」とも言われており(ヨハネ1416,17)、私たちに聖書を分からせ、神の御心を知らせ、永遠の真理に到達させて下さる。聖霊は個人に働くばかりでなく、キリストの体である教会を造り、その教会に働いて、福音宣教の御業を進められる。聖霊の究極の働きは、私たちの救いの完成=「聖化」である。聖霊は私たちの内面に働くだけでなく、行いや生き方にも変化を起こさせ、私たちを「御子(キリスト)に似たもの」(ロマ829)とし、神の国に相応しい者へと造り変えて下さるのである。

米子伝道所主日礼拝説教<要 旨> 2011年6月12日  山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録2:1−13
 説教題:「聖霊に満たされ」
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