「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」   (使徒言行録18 

 主イエスは、「時は満ち、神の国は近づいた」と宣教された。弟子たちはそれを地上の王国の復興のことと誤解して、復活された主イエスに期待しつつ、「イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。それに対して主は、「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない」と言われ、神の国の建設は神の権威に属することであり、その実現の「時」は、神に委ねるべきと教えられた。では、私たちは神の国の完成まで、どのように過ごすべきか。その答えが、標記で主が言っておられることである。
 ここでまず大前提として言われていることは、神の国は私たちの力で実現するのではなく、聖霊の力を私たちが受けることによってである。そして私たちがなすべき務めとは、「わたし」即ち、主イエス・キリストの御業・御言葉を証しすることである。その働きは「地の果て」に至ると言われる。それは物理的な地の果てというだけではなく、異教社会の隅々までと受け取るべきであろう。――これがキリスト者の人生を貫く目的だ。
 
標記のように語られた後、主は天に上げられた。それは、父なる神と同じ本質、権能、力を持たれたことを意味する。だが、そのような主イエスのお姿を私たちは見ることは出来ない。その代わりに、キリストの地上における見える姿として、キリストの体なる教会が建てられた。
 主の昇天に伴い、二人の天使が現れ、「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」と告げた。主の再臨は夢や空想ではなく、私たちがはっきりと主イエスと確認できる具体性をもった出来事として起こるということである。私たちは、その時を待ち望みつつ、主の証人としての歩みを続ける。その生活の基本は、主の日ごとに教会において御言葉を聴き、主の御業を確認し、聖霊の力をいただくことによって進められるのである。

米子伝道所主日礼拝説教<要 旨> 2011年6月5日  山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録1:6−11
 説教題:「主の証人となる」
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