「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
                                (マタイによる福音書7:7)  標記の言葉は、何事でも熱心に探求し続けさえすれば、道が開かれるから頑張りなさい、との励ましの言葉の一つに過ぎないのだろうか。
 この言葉は、「山上の説教」の中で、祝福と愛の教えを語られ、「神の国と神の義を求めなさい」(633)と命じられた後で語られたので、それらが実現することを求めよ、と言っておられると受け止められる。また、直前の箇所(716)では、他人との関係を自分で築くことの難しさが語られており、神に祈って求める以外に他人とつながる道はないことを述べておられると解することが出来る。更に、ルカ福音書の併行記事(11113)を見ると、弟子たちに「主の祈り」を教えられた後で、この言葉が語られているので、主の祈りの内容の実現を求めよと言っておられると理解することも出来る。「山上の説教」にしろ、「主の祈り」にしろ、汲めども尽きない豊かな内容が盛り込まれているが、それらを神に求めるならば実現すると約束しておられるのである。
 ルカ福音書では、深夜に突然訪れた客のために、友達にパンを求める譬が語られているが、これは単に、しつように頼めばかなえてもらえることを教える譬えではなく、求めを受けた友達、即ち神の側が、求める側の事情を察して、自分の名誉にかけて応えて下さるお方であることを強調する譬えである。
 パンを欲しがる自分の子供に、石を与える親がいないように、天の父なる神は、求める者に最も良い物を与えて下さるのである(911)。そのことを私たちが本気で信じるかどうかにかかっている。
 主イエスは最後に、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(12)と言われた。これは「黄金律」と呼ばれるもので、「山上の説教」の教えを総括した言葉である。この愛の道は険しく、私たちには達成できそうもない。しかし、主イエスの言葉を信じて、求め、探し、門をたたくならば、この「黄金律」を生きる道が開ける、と約束しておられるのである。

米子伝道所主日礼拝説教<要 旨> 2011年5月15日  山本 清牧師 

 聖  書:マタイによる福音書7:7−12
 説教題:「求めなさい」
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