「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(ルカによる福音書181617 

 主イエスに触れて(祝福して)いただくために、人々が乳飲み子を連れて来たとき、弟子たちは、それを見て叱った。既に主イエスが自分の死を予告され、敵対する人たちの動きもある中で、弟子たちは子供たちのことで主を煩わせたくないと配慮したのであろう。
 
しかし、主イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて、標記のように言われた。当時、子供は律法を守ることが出来ないので、神の救いには価しないと考えられていたが、主イエスは逆に、子供のような者が、神の国に入る人の模範であると語られたのである。これは価値観の大きな転換である。
 では、「子供のような者」とはどんな人か。直前(ルカ18914)の「ファリサイ派の人と徴税人」の譬えでは、自分の罪をありのまま認めて、悔い改めている徴税人が義とされたと述べられ、直後(ルカ181823)の「金持ちの議員」との対話の中では、律法を守って、より立派な人間へと自力で上り詰めようとした議員に対して、「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい」と言われて、自分の力では神の国に入ることも、永遠の命を得ることも出来ないことを示された。「子供のような者」とは、無垢であるとか、素直だ、純真だということではない。子供は自分だけでは生きて行けず、親や大人に依存するしかない存在で、そのことを自分でも自覚している。「子供のように」とは、そのように自分には神の国に入る能力も資格もない罪人であることを認め、ただ十字架のキリストにすべてを委ねるしかない者のことである。主は、そのような者を神の国に受け入れようと、招いて下さっている。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨> 2011年2月27日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書18:15−17
 説教題:「神の国に入れる人」
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