序.イエスさまの誕生を喜んでいますか

今日、皆さんはクリスマスの礼拝にやってきました。今日は、日本中の教会でクリスマスの礼拝が行なわれています。日本だけではありません。世界中の教会でクリスマスの礼拝が行なわれています。
 ここにいる人は皆、クリスマスはイエスさまがお生まれになったことを喜んでお祝いする日だということを知っています。でも、皆さんの学校のお友だちはどうでしょうか?クリスマスはサンタクロースやお父さんお母さんからプレゼントをもらう日だと思っている人がいるかもしれませんね。サンタクロースや色々な人もプレゼントをくれるかもしれませんが、もっと大きなプレゼントを神さまが下さったのです。それはイエスさまというプレゼントです。私たちがもらったり、あげたりするプレゼントは、イエスさまという大きなプレゼントのことを思い出すためです。だから、イエスさまという神さまからのプレゼントのことを知らなかったり、忘れていたのでは、クリスマスをお祝いしたことにはなりません。
 では、世の中の大人の人たちは皆、イエスさまというプレゼントのことを知っているのでしょうか。大抵の大人の人は、クリスマスというのはイエスさまの誕生をお祝いする日だということを知っています。でも、イエスさまが自分に神さまが贈って下さったプレゼントだと思っている人は案外少ないかもしれません。クリスマスにはクリスマス・ツリーを飾ったり、ケーキを食べたり、プレゼントを交換したりする人は多いのですけれども、教会へ行って、イエスさまというプレゼントをいただいたことを喜んで神さまにありがとうと言って、礼拝する人は、そんなに多くありません。
 そういう中で、皆さんは今日、こうして教会に来ています。そして、さっき聖書から、イエスさまがお生まれになった時の様子を聞きました。そこには二千年前の、最初のクリスマスの出来事が書いてありました。最初のクリスマスと今の私たちのクリスマスと比べると、ずいぶん様子が違うようにも思われます。最初のクリスマスにはサンタクロースは現れません。クリスマス・ツリーは飾られていません。クリスマス・ケーキを食べた様子はありません。教会でクリスマスの礼拝が行われたわけではありません。でも、実は、私たちのクリスマスと、最初のクリスマスはとっても似ているのです。どういう風に似ているのかをお話ししましょう。

1.羊飼いに、天使が知らせた      

イエスさまがお生まれになった夜、羊飼いたちが野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていました。イエスさまがお生まれになったユダヤの国では、羊がたくさん飼われていました。羊飼いというのは、羊の世話をする人で、羊が食べる草が生えている野原に羊を連れて行ったり、狼などの獣や泥棒から羊を守る人です。私たちは、日本のこの地方で、そういう羊飼いの姿を見ることはありませんが、その頃のユダヤの国ではよく見られた光景でした。今、私たちは田んぼで稲を育てたり、畑で野菜を作る人を見かけたり、会社へお勤めに行く人を見かけたりするのは、珍しいことではありませんが、それと同じように、当時のユダヤの国では、羊飼いというのは、どこででも見られる、普通のお仕事でした。特別に偉い人ではありません。今で言えば、ここにいる皆さんや皆さんのご両親と同じように、普通の人です。
 
そんな普通の人である羊飼いの所に、その夜、神様から遣わされた天使が近づいて来ました。天使というのは、神さまのお言葉を伝える役目をするお使いです。天使が近づくと、辺りが急にまぶしい光に照らされて明るくなりました。羊飼いたちが驚いていると、天使が言いました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。」10,11節)これは、ダビデの町と呼ばれていたベツレヘムという町に、救い主イエスさまがお生まれになったことを伝えたのです。
 
この日、イエスさまの誕生のことを知らされたのは、極くわずかの人たちだけでした。イエスさまがお生まれになったのは、ユダヤの国の中でも、首都のエルサレムではなくて、ベツレヘムという小さな田舎の町でした。しかも、この町でイエスさまの誕生のことを知らされたのは、野原で野宿しながら羊の群れの番をしていた羊飼いたちだけでした。ユダヤの国の王様も、エルサレムにある神殿に仕えていた偉い人たちも、聖書のことをよく勉強していた学者たちも、イエスさまの誕生のことは知りませんでした。小さなベツレヘムの町の、普通の羊飼いの人たちが神さまに選ばれて、知らされたのです。
 
その頃のユダヤの国は、ローマという強い国に支配されていました。だから、ローマに税金をとられて、苦しい生活をしなければなりませんでした。そんな中で、ユダヤの人たちはユダヤの国を救ってくれる救い主が現れることを待ちわびていました。そんな中で天使が、救い主が生れたと知らせたのですから、これはビッグ・ニュースです。そんな大事なことであれば、ユダヤの王様や、偉い学者がまず知らされてもよいように思います。でも、この日、天使から救い主の誕生のことを知らされたのは、王さまでもなく、偉い学者でもなく、普通の羊飼いたちでした。なぜ、この羊飼いたちだけがこの大きな知らせを聞くことが出来たのでしょうか。この羊飼いに優れたところがあったからではありません。特別に勉強が出来たとか、悪いことをしない立派な人だったからではありません。神さまは平凡な普通の人を選んで、世界を動かす、大きいニュースを知らせたのです。
 
このことは、私たちが今日、こうして、教会へ来て、イエスさまの誕生のことを聞いているのと似ています。私たちも特別に偉い人間ではありません。学校で成績が上の方の人だけが選ばれたとか、悪いことを何もしたことのない人だけが、ここに集められているのでもありません。神さまは普通の私たちを、むしろ、悪いことをしたり、普段は神さまのことを忘れて勝手なことをしている私たちを、こうして教会に呼び集めて、聖書を通して、一番大切で、一番喜ばしい出来事を知らせて下さっているのです。
 
皆さんには、天使が現れていません。そこは2000年前とは違います。けれども、聖書は天使と同じ働きをします。神さまは、昔は天使を通して神さまの言葉を伝えましたが、今は聖書というものを使って、神さまの言葉を伝えて下さいます。こうして、聖書のお話を聞いたり、聖書を読んだりするのは、天使が現れて神さまの言葉を聞くのと同じです。天使が現れて神さまの知らせを聞くことが出来たのは、ほんのわずかの羊飼いたちだけであったように、教会へ来て、聖書によって、神さまのお知らせ聞くことが出来るのも、日本中の中でもわずかの人ですが、神さまは私たちを特別に選んで、イエスさまが私たちのために来て下さったという知らせを、今日、聞かせて下さっているのです。

2.飼い葉桶の中の救い主      

さて、天使が現れて、救い主イエスさまがお生まれになったことを知らせたのですが、そのあと、こんなことを言いました。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」12節)これはちょっと変ではないですか。救い主なら王様よりも偉い人のはずです。そんな救い主になる人が飼い葉桶に寝ているというのです。飼い葉桶というのは、馬や牛が食べる餌を入れておく桶のことです。王様より偉い人だったら、豪華な宮殿のふかふかのベッドに寝かされているのが似つかわしいと思いませんか。皆さんはイエスさまがなぜ飼い葉桶に寝かされることになったのか、その理由を知っています。ローマの国の皇帝と言って、一番偉い人が、全国の人々に住民登録をするように命じたために、イエスさまのお父さんになるヨセフさんの故郷のベツレヘムで登録をするために、お腹が大きくなっていたマリアさんと一緒に旅をして、ベツレヘムにやって来たのですが、もう宿屋は満員で、泊まるところがなかったので、仕方なしに、馬小屋で泊めてもらうことになったのでしたね。その馬小屋でイエスさまがお生まれになったので、ベッドもありませんから、飼い葉桶に藁を敷いて寝かせたのでした。もし、生れたイエスさまが救い主だと分かっていたら、宿屋の人も、町の人々も、飼い葉桶に寝かせるようなことをしなかったでしょうが、町の人はだれも、救い主だとは気がつかなかったのです。
 
でも、イエスさまのことを救い主と気づかないということは、この時だけではありませんでした。イエスさまが大人になって、神さまのことを人々にお話しになったり、困っている人を助けたりなさった時も、イエスさまのことを救い主と信じた人は少しだけで、お仕舞にはイエスさまのことを偽の王様だとか、偽の救い主だとか言って、とうとう、こんな奴は生かしておけないといって、十字架に架けて殺してしまったのです。イエスさまが飼い葉桶に寝かされたということは、そんなイエスさまの一生を表していると言えるのです。天使が「これがあなたがたへのしるしである」と言ったのは、イエスさまが飼い葉桶に寝かされているのは、そんな苦しい一生を歩まれることになるイエスさまのことを表している、という意味です。
 
さあ、最初のクリスマスでは、イエスさまを飼い葉桶に寝かせることしか出来なかったのですが、このことは、今のクリスマスでも似たことが起こっています。今、このクリスマスにイエスさまを心から喜んで歓迎している人は少ないのです。クリスマスにプレゼントをもらって喜んでいる人は沢山いるけれど、救い主という大きなプレゼントを神さまからいただいたと思っている人は少ないのです。それは、イエスさまを飼い葉桶に寝かせているのと同じです。ちっとも喜んで歓迎していないのです。皆さんの周りでも、教会へ行って、イエスさまのお誕生をお祝いしている人は少ないと思います。多くの人々は、今もイエスさまを飼い葉桶に寝かせるのと同じようなことをしています。
 
では、皆さん自身はどうでしょうか。皆さんはこうして教会へ来ています。でも、イエスさまを心から喜んで歓迎出来ているでしょうか。せっかく神さまからイエスさまをプレゼントされたのに、飼い葉桶に寝かせるのと同じように、粗末に扱うようなことをしていませんか。
 
では、天使から知らせを聞いた羊飼いたちは、どうしたでしょう。羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合って、急いで行って飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子(赤ちゃん)のイエスさまを探し当てたと書かれています。(1516節)羊飼いたちがいた所からベツレヘムの馬小屋まで、どれくらいの距離があったのか分かりませんが、夜道を急いで、イエスさまを見つけ出すことが出来ました。羊飼いたちは、イエスさまの様子が天使の話したとおりだったので、神様をあがめ、賛美した(礼拝した)、とも書かれています。(20)羊飼いたちは、救い主になるイエスさまが馬小屋で飼い葉桶に寝かされているのを見て、がっかりしませんでした。こんなの救い主でない、とは思いませんでした。天使が言ったとおりだったので、このイエスさまこそ、本当の救い主だと分かって、神さまを賛美したのです。私たちも今、聖書を通して救い主が私たちのところにプレゼントされたことを聞いています。そして、教会へ来て神さまを礼拝しています。でも、イエスさまのことを知らない人も沢山います。今もイエスさまは飼い葉桶に寝かせれているのと同じように、多くの人から歓迎されているわけではありません。でも、そんなイエスさまこそが、天使の言うように、本当の救い主なのです。神様のことを忘れて、勝手なことをしている人間のために、十字架に架かってくださる、本当の救い主なのです。私たちは羊飼いと同じように、そんな本当の救い主のお姿を、馬小屋ではありませんが、この小さな教会で聖書によって知ることが出来たのです。私たちも、羊飼いと同じように、神さまをあがめ、賛美したいと思います。心から喜んで礼拝したいと思います。

結.天使が話してくれたことを人々に知らせた

ところで、羊飼いがしたことは、馬小屋で礼拝しただけではありませんでした。17節を見ると、その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた、と書いてあります。天使が救い主が生れたと知らせて下さったこと、そして天使が言ったとおりに、救い主のイエスさまが馬小屋で飼い葉桶に寝かせてあったことを、まだ知らない人々に知らせるために、馬小屋から出かけて行ったのです。
 
羊飼いが神さまに選ばれてイエスさまにお会いできたように、私たちも神さまが選んで下さって、こうして教会でイエスさまにお会い出来ました。まだ、イエスさまが救い主であることを知らない人が沢山います。そういう人はクリスマスの本当の喜びを知りません。私たちは羊飼いと同じように、そういう人々に、イエスさまのこと、本当のクリスマスのお恵みのことをお話できるとよいですね。
 
お祈りしましょう。

祈  り

救い主を私たちにプレゼントして下さった神様!
 今日、こうして教会へ来て、そのプレゼントをいただくことが出来てありがとうございます。
 
私たちは日頃、このイエスさまのことを忘れて、勝手なことばかりしていますが、どうか、いつも教会へ来て、イエスさまのして下さったこと、話して下さったことを聞き、礼拝する者として下さい。
 
どうか、まだイエスさまのことを知らない人たちにも、イエスさまのことをお伝えすることが出来るようにして下さい。
 
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

米子伝道所クリスマス合同礼拝説教<全原稿> 2010年12月19日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書2:8-20
 説教題:「最初のクリスマス」
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