「主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕をしてくれる。」
                 (ルカによる福音書
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 主イエスは御自分の十字架と復活について予告されると共に、再臨についても何回か語っておられるが、ここでも、婚宴のために出かけた主人が帰って来るという譬で、再臨を待つ心得を語っておられる。この譬えの大前提は、主人が必ず帰って来るということであるが、ユダヤの婚宴はいつ終わるか不確定であるように、主の再臨も「思いがけない時に」(40)起るのである。そこで、僕たちが腰に帯を締め、ともし火をともして、いつでも主人を迎えられる用意をしていなければならないように、私たちも主イエスがいつ再臨されてもよいように、備えていなければならない。「目を覚ましている」とは、主の再臨を心から待ち望んで、心の目を主に向かって開いていることである。
 ところで主イエスは、それに加えて、標記のような不思議なことを付け加えておられる。普通は、主人が帰って来ると、僕たちは疲れて帰って来た主人のために、あれこれもてなしをしなければならないであろうが、この主人は逆に、自分が帯を締めて、僕たちのために食事の世話をするのである。主従の逆転である。これは、主イエスが最後の晩餐のときに、弟子たちの足を洗われて(ヨハネ13章)、御自分が十字架の御業によって弟子たちのために仕えられることを暗示されたように、主イエスはもう一度来て下さって、私たちのための救いの業を完成して下さることを示している。私たちは今も主人である主イエスのことを忘れて生活し、罪を犯し続けている。そんな私たちのために、主イエスはもう一度戻って来て、自ら帯を締めて、私たちを天国の祝宴に着かせて下さるのである。「小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」(黙示録199)。私たちは、その日に帰って来られる主を、心の目を覚まして待ちわびる者とされたい。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年11月7日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書12:35−40
 説教題:「帰ってくる主人」
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