「ファラオの夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。」                     (創世記4125

 エジプトに連れて来られたヨセフは、エジプト王ファラオの宮廷の役人ポティファルに買い取られる。そこでは、ヤコブの寵愛を受けていた時とは天と地ほどの差がある厳しい生活が待ち受けていたが、ヨセフは自分の能力を活かして這い上がろうとする。だが、ポティファルの妻から濡れ衣を着せられ、監獄に入れられて、約10年が経過する。そこへ、王の怒りを受けた給仕役と料理役が入れられて来る。ヨセフは二人が見た夢を解いてやって、職場に復帰する給仕役に、自分の無実を王に伝えてもらい、監獄からの解放を嘆願するように依頼するが、忘れられてしまう。こうして更に無意味と思える2年の時が過ぎる。
 ある日、王が不思議な夢を見て、全国の魔術師や賢者を集めて、その意味を問うたが、誰も答えられない。その時になってやっと、例の給仕役がヨセフのことを思い出し、監獄から呼び出される。王が、「聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが」と言うと、ヨセフは「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです」と答え、更に王の夢を聞いた上で、標記のように言う。かつての高慢なヨセフであれば、得意気に夢を解く能力をひけらかしたであろうが、長い試練の生活の中で、彼は思い上がりを砕かれ、自分の力で将来を切り開くことを断念させられ、神への信頼と服従を学んだのである。ファラオの見た夢が7年の豊作の後に7年の飢饉が来ることを意味すると解き明かし、豊作の間に食糧の備蓄をし、飢饉に備えることを提言すると、王は感心して、ヨセフを総理大臣の地位に抜擢する。こうしてヨセフは神が最良の時に自分を用いて、人々の役に立つ働きをさせて下さることを知った。長い試練の時は、ヨセフが神を信頼し、御心を謙遜に聴き取る信仰を学ぶ時であったのだ。神は私たちをも試練の時を通して、一人のヨセフにしてくださるのではないか。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年10月24日  山本 清牧師 

 聖  書:創世記41:1−45
 説教題:「神がなさろうとしていること」
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