序.ノアの新しい出発を通して

先週は創世記の6章を中心に、ノアの洪水の物語の前半から、御言葉を聴きました。人間は神様にかたどって造られた、つまり神様を信頼し、神様の御言葉に従って生きるように造られたのでありますが、人間はアダム以来、神様に背いて、悪を重ねて参りました。このことに心を痛められた神様は、遂に決心をなさいました。それは、地上に大洪水を起こして、人間と地上のすべての生き物を滅ぼそうということでありました。ただし、神様が創造された人間と動物を残らず絶やしてしまうということではありませんでした。ノアという人を選んで、箱舟を造らせ、それにノアの一家と動物をその種類に従ってひとつがいずつ乗せて、救おうという計画でありました。ノアは神様に命じられたとおりに、箱舟を造り、8人の家族と動物たちを乗り込ませました。

それから四十日四十夜雨が降り続いて、地上は大洪水が起こり、箱舟に入らなかった人間をはじめ動物たちは、ことごとく死んでしまいました。それが7章に書かれていることであります。

今日は、その次の8章に書かれていること、すなわち、雨が降り止み、水が徐々に引いて、箱舟がアララト山の上に止まって、ノアたちが箱舟から出て、新しい生活を始める箇所を中心に見て行きたいと思います。

ノアの物語は、単なる昔話ではありません。そこには人間が犯した罪に対して、神様がどのように対処されるのか、ということが語られています。先週申しましたように、ノアの物語は罪を犯した人間を滅ぼしつくすという物語ではなくて、ノアを通して人間をお救いになった物語であります。そして、このノアは、やがて地上に遣わされたイエス・キリストを指し示している、ということも申しました。全ての人間は、神様に背いて罪を犯したために、死すべきものとなりました。しかし、ノアが、神様の命じられたとおりに箱舟を造り、命じられたとおりに家族と動物たちを箱舟に入れたことによって人間が新しい出発をしたように、やがて地上に遣わされたイエス・キリストが、神様の命じられたとおりに、十字架への道を歩まれたことによって、人類は罪を赦されて新しい一歩を踏み出すのであります。

ノアは洪水が終わるとどのようにしたのか、そのことは、イエス・キリストによって救われた私たちの新しい人生のあり方を指し示していると言えます。今日はこの箇所から、私たち自身の救われた新しい人生について聴き取りたいと思うのであります。

1.洪水の終わり

81節を見ますと、こう書かれています。神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水がへり始めた。――「神は…御心に留め」とありますが、これはもちろん、洪水になって初めてノアたちに御心を留められたという意味ではなく、初めから神様がノアたちを選んで、ずっと御心に留めておられたのでありますが、更に、すべてのものが洪水によって滅びたのを見届けて、今度は「地の上に風を吹かせられた」のであります。「風」という言葉はヘブル語では「霊」と同じです。創世記の始めの天地創造の時には、「神の霊が水の面を動いていた」と、同じ言葉が「霊」と訳されていました。ここでも、「風」の代りに「霊」とも訳せるのです。単なる「風」ではありません。神様の「霊」が働いて、水が退けられるのであります。こうして水が減り始め、やがて箱舟はアララト山という、この地域で一番高い山に止まります。

ノアは初めにからすを放ってみましたが、戻って来ました。次に飛ぶ距離の長い鳩を放ちましたが、やはり戻って来ました。こうしたノアの行為には、洪水が一刻も早くおさまることを待ち望んでいるノアの気持ちが表現されています。神様が必ず生き延びさせて下さるということを信じつつも、そのことの確証を得たいという思いが表されています。それから更に七日待って、再び鳩を放すと、今度はオリーブの葉をくわえて戻って来ました。オリーブは生命力の強い木です。水が引いてオリーブの木が表われて来たのであります。ノアはオリーブの葉を見て、希望を新たにしたことでしょう。更に7日待って、もう一度鳩を放ちましたが、もはや戻っては来ませんでした。それは鳩の生きて行ける自然が回復したということを物語っております。船の中は窮屈で、動物の臭気も立ちこめていたでしょう。そのような箱舟からノアたちも解放されて、自由になれる時が来たことを示しています。しかし、ノアはすぐには箱舟から飛び出しませんでした。ノアは、じっと神様のご指示を待っていました。

やがて、箱舟の周りの水も引いて、地面がすっかり乾きました。雨が降り始めてからちょうど1年が経っておりました。14節で使われている「乾いた」という語は、1章の創造物語の中で、「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ」(19)と言われた時と同じ語が用いられています。その「乾いた所」というのは、砂漠のような植物も生えないような土地ではなくて、豊かな命を生み出す所でありました。そのような大地を神様はもう一度ノアたちのために備えられたのであります。

2.箱舟から出なさい

こうして、鳩が帰って来なかった時から約2ヶ月たってから、神様のお言葉がありました。16節には、神様の命令が書かれています。「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。」――この言葉にノアは生き延びることが出来た安堵感と、窮屈な船から解放される喜びを感じたことでしょう。しかし、同時に、不安もあったに違いありません。外には食べ物があるだろうか。生きて行けるのだろうか。動物たちを養って行けるのだろうか。再び洪水にならないだろうか。これから先の生活の道筋は何も見えていません。けれども神様は「箱舟から出なさい」とお命じになります。するとノアは、18,19節にあるように、この時も神様のご命令に従って、家族と動物たちと一緒に箱舟を出ました。私たちも人生の中で、自分が生まれ育った土地や住み慣れた家に留まるのか、それまでの人間関係や生活習慣を踏襲するのか、それともそれらから離れるのかを決断しなければならないことがあります。信仰生活に入るということも、過去の生き方から離れて、外へ出る決断が要ります。そのような時に必要なことは、自分の判断力や思い切りの良さではありませんし、前向きな姿勢でもありません。必要なことは、神様のご命令に従うということであります。箱舟から出ることが、如何に魅力的に見えても、神様のご命令が下るまでは、箱舟に留まっているべきであり、逆に、箱舟から出ることに不安があり、危険が待っているように見えたとしても、神様が命じられるならば、それに従う時、そこには神様に祝福された道が備えられている筈であります。

17節では、神様は今後の生活の方針を示しておられます。「すべての肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」――これは創世記1章の創造物語の中で、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(128)と言われていたのと同じく、人間の子孫が増え、人間が動物たちを支配し管理するという役目が語られています。これは、神様が徹底的な審きをなさった後に、ノアたちを救われて、もう一度、初めの祝福と務めを回復して下さったということであります。

3.まず礼拝

さて、ノアが箱舟から出て最初にしたことは、20節にあるように、祭壇を築いて献げ物をし、神様を礼拝することでありました。これは神様に命じられてしたのではなくて、ノアの自発的な行為であります。そこにはノアの感謝と喜びの気持ちが表われています。それと同時に、焼き尽くす献げ物をするということは、自分自身を含めた人間の内にある罪を覚えて悔い改め、神様の赦しを願うものであったのではないかと思います。箱舟の中に持ち込まれた動物は、これからの生活のために決して有り余るものではなかった筈です。しかし、ノアはその中から惜しまず神様に献げ物をしたのであります。箱舟を出たノアにとって、どのようにして食糧を確保しようか、着るものも必要だし、住む家も建てなければならないなどと、心配事はいっぱいあったと思われます。すぐにでも手をつけなければならないことがあった筈であります。しかし、ノアはすべてのことを神様に委ねて、まず礼拝を捧げたのであります。

救われた者がまずなすべき事は、ノアがしたように、礼拝をすることであります。そこから新しい生活が始まります。礼拝は、私たちが生きて行くために必要なものが確保されてから行うものではありません。この世の仕事や付き合いが一段落してから行うものではありません。これからどうなるか分からない中でも、まず行うのが礼拝であります。主イエスは言われました。「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、思い悩むな。・・・何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ63133)礼拝から始めるときに、如何に生きるべきかという道筋も見えてくるし、それに必要なものも、神様が備えて下さるのであります。

4.二度とすまい――神の決意

21節を見ると、主は宥めの香りをかいで、御心に言われた、とあります。焼き尽くす動物の献げ物から昇る香りが届いて、神様はノアの礼拝を受け入れられます。そして、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」と、御自分の心にお定めになるのであります。それは、洪水のようなことを起こして大地を呪って、作物をもたらさないようにして、人間や動物たちが生きていけないようにすることは、もう二度となさらない、ということです。ここで「呪う」と言われている言葉は、創世記3章でアダムに対して神様が言われた言葉の中にありました。神様の命令に背いたアダムに対して、神様はこう言われました。「お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ」と。このアダムの罪のために大地は神様の呪いのもとに置かれ、遂には洪水が起こされることになったのです。しかし、その洪水が終わった今は、「大地を呪うことは二度とすまい」と宣言なさるのであります。

これは大変慰めに満ちたお言葉であります。というのは、現代におきましても、地球が滅び去るのではないかという危惧を抱かざるを得ない状態が続いているからです。一つは核の問題です。オバマ大統領が核廃絶を呼びかけましたが、実現への道は遠いようです。東西冷戦構造はなくなったとはいえ、テロによる核兵器使用の危険がなくなったわけではありません。また温暖化など地球環境の破壊に対する対策も国際間で協議されていますが、開発途上国と先進国の利害がぶつかりあって、大胆な方策がとれず、大幅な改善の見通しが立っていません。しかし、神様は、ノアの洪水のような生き物全体を滅ぼすような審きは二度としないと言われるのであります。これで、核廃絶や地球環境改善の努力を怠ってもよいということにはなりません。しかし、神様のこの言葉は、人間のそうした努力に勇気を与えるのではないでしょうか。

ところで神様は、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」と言われたすぐ後で、幻滅するようなことをおっしゃいました。「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」――洪水が終わって、最初のエデンの園のような平和な世界に戻るのかと思ったら、そうではないのです。人間は相変わらず罪を犯し続けるという悲しい現実に引き戻されるのであります。確かにこの世は、今も罪と悪に満ちています。私たち自身も神様に背き、御心を痛めるようなことをし続けています。そうであれば、神様は何度でも洪水を起こして、人間を罰しなければならない筈です。

しかるに神様は、重ねて21節後半で「わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは二度とすまい」と言われ、22節では「地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない」とも言われます。更に9章に入ると、祝福の言葉が続いて、9節に至りますと、「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる」と言われて、11節にあるように、重ねて「二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない」と約束されるのであります。――これはどういうことでしょうか。神様が人間の悪いのは生まれつきだから致し方ないと諦められたのでしょうか。そうではありません。正しい神様は決して人間の罪と悪をそのまま見過ごすお方ではありません。ここで語られた神様の言葉には、その後の人類の歴史に関わる神様の重大な決意が込められているのであります。神様はこの契約をアブラハムにおいて更新し、後にモーセやダビデにおいて追認して、遂にはイエス・キリストの十字架における肉と血による新しい契約にまで至らせられるのであります。そのような壮大な救いの御計画を神様はここで決意なさったのであります。大地への呪いを二度としない代わりに、罪への呪いを神様の独り子イエス・キリストに受け止めさせることにされたのであります。パウロはガラテヤの信徒への手紙の中でこう言っております。「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです。」(ガラテヤ313)――「二度とすまい」という神様のお言葉の裏には、このような神様の御決意が込められているのであります。

5.水の洗礼

また、ノアの洪水についてはペトロの手紙でも取り上げられていまして、ペトロの手紙一320節以下では、こう述べられています。「この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。(これは洪水の前に悔い改めなかった人々のことを言っていると考えられます。)この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。」(Ⅰペトロ32021)――ここでは、洪水が後の洗礼を指し示すものとして受け止められています。このような解釈は少し飛躍し過ぎているように感じられるかもしれませんが、洪水によって人間が神様の裁きを受ける中で、神様の言葉に従って箱舟に入ったノアたちだけが救われたことは、神様を信じるように導かれて洗礼を受ける者が、水の洗いによって罪を清められ、新しい命に生きるようになることと、深いところでつながっているという見方は、なるほどと思えるのではないでしょうか。

結.新しい天と地

最後に、聖書朗読で読みましたペトロの手紙二の3章をもう一度見ていただきたいと思います。(p439)そこには、小見出しにもありますように、主の来臨、すなわちキリストが再び来られるとの約束のことが述べられていますが、その中でノアの洪水のことが触れられています。4節から読みます。「こう言います。『主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。』彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしないからです。すなわち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によってできたのですが、当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれる日まで、そのままにしておかれるのです。」(Ⅱペトロ347)――神様は洪水によって滅ぼすことは「二度とすまい」と決意されて、その後の罪に対してはイエス・キリストの十字架による救いを用意されたのでありますが、ここにはキリストが再臨される時の最後の審きのことが記されていて、神様が備えて下さったイエス・キリストによる救いを信じることが出来ない者は、最後の時に、水ではなくて火によって滅ぼされるとの警告が述べられているのであります。主の来臨がいつあるのかは、私たちに知らされていません。しかし、今、イエス・キリストを信じて、その来臨を待ち望む者は、火によっても滅ぼされることなく、新しい天と新しい地に入れられるのであります。最後に、ペトロの手紙二38節から13節までを読みます。
(聖句省略)

 祈りましょう。

祈  り

愛と正義を貫かれる父なる神様!

あなたに対して犯した罪の故に滅ぼされるべき私たちを、なお愛して下さり、イエス・キリストの贖いの故に、二度と滅ぼさないとの約束をして下さったことを覚えて、感謝いたします。

どうか、この約束を信じ続けることが出来るようにさせて下さい。

そして、新しい天と地を待ち望む者とならせて下さい。

どうか、あなたの救いの約束の御言葉が、一人でも多くの人々に届けられ、受け入れられますように。
 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

米子伝道所主日礼拝説教<全原稿>    2010年8月1日  山本 清牧師 

 聖  書:創世記8:13-22
 説教題:「二度とすまい」
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