序.地上に人の悪が増し

ノアの箱舟の物語は、聖書を読んだことがない人でも知っているほどの、よく知られた話で、聖書以外でも、洪水伝説は古代オリエント地域に数多く伝わっているようでありますし、箱舟の遺物が発見されたという報告もいくつかあるようであります。しかし、聖書が伝えるノアの箱舟の物語は、よく似た多くの洪水物語とは違って、特別な深い意味が含まれています。

ノアという善良な人物が洪水に備えて箱舟を造っていて、大洪水が襲ったときに家族全員が助かったというような話は、子供でも分かる大変劇的な面白い話ですし、教訓にも富んでいます。けれども、この物語の背景になっていることは、今日朗読していただいた箇所のすぐ前の65節にも書かれているように、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っている、という現実であります。先週は3章に記されている「蛇の誘惑」の箇所を学びました。そこでは、最初の人間アダムとエバが神様に背いて罪に陥ったことが書かれていましたが、人間が増えると共に、地上に罪が蔓延したのであります。そのような罪がはびこってしまった状態を神様はどうなさるのかという、深刻な問題が扱われているのであります。そして、このような罪がはびこった状態というのは、決して過ぎ去った古代の話ではなくて、むしろ現代においてますます拡大していることを思いますと、この状況に神様がどのように対応されるのか、私たちはどうあるべきか、ということは、真剣に考えなければならない問題でありますし、そのような観点からこの聖書のノアの洪水の物語を真剣に読みますと、様々な疑問も生じて来るのであります。

まず疑問を抱かされるのは、このような人類の不法が、神様のお造りになった人間の間で、なぜここまで広がってしまったのか、その責任はどこにあるのか、そして、神様はそのような不法に染まった人間を滅ぼす、という最悪の手段をなぜとらねばならないのだろうか、という点であります。

第二の疑問は、その中で、ノアとその家族だけが洪水によって滅ぼされなかったのはなぜか、ノアのどこが善かったのか、私たちもノアのように審きを逃れる道はあるのだろうか、ということであります。

更に、ノアの時代の大洪水によって、罪の中にあった人間が一掃されたのですけれど、ノア以後の人間も罪を重ねております。洪水の意味はなかったのか。再びあの大洪水のような地球を破滅に追い込むような神の審きが行われるのであろうか。そこから救われる道はあるのだろうか、といった疑問が湧いて来ます。

ノアの箱舟の物語は、6章から9章まであります。そのうち今日は6章を中心に、次週は8章を中心に、二回に分けてお話いたしますが、今申しましたような疑問を念頭に置きながら、聖書の物語を今日神様から与えられる私たちへのメッセージとして聴いて参りたいと思います。

1.堕落と滅び――なぜ、神は人を滅ぼされるのか

さて、先ほど6章の5節で、「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っている」という所を見ましたが、ほぼ同じような主旨のことが11,12節にも書かれています。この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。同じような主旨のことが繰り返されているのは、1節から8節までと9節から22節までとは、元々別の資料で、それを編集段階で並べたからなのですが、より深刻さが伝わって来ます。ここには「堕落」という言葉が3回も使われていて、強調されていますが、この言葉は「破壊する」「滅ぼす」という意味を持っています。「堕落する」ということであれば、自分自身が罪を犯すという意味になりますが、その罪が、地上を破壊し、滅ぼすことになるのであります。創世記の初めでは、神様はお造りになったものを「良しとされた」と書かれていましたが、神様が造られた良い世界を、人間の罪が破壊し、滅ぼしてしまうのであります。今、地球の温暖化や生態系の破壊といった環境破壊が問題となっていますが、これらは人間の身勝手から起こることであります。また、戦争やテロ活動も人間の罪から来る破壊行為であります。また、毎日報道される悲惨な事件は、決して他人事ではありません。その背景には家庭の崩壊がありますし、一人一人の心の崩壊があります。そして人間社会全体が滅びへと向かっているのであります。これは今に始まったことではありません。ノアの時代からそうであったのです。放っておけば、世界は自滅するのであります。神様が洪水を起こされるまでもなく、自己崩壊するのであります。これは神様が人間の造り方を失敗されたからでしょうか。神様にも責任があるということでしょうか。――しかしこれを神様の所為にするわけには参りません。先週学びましたように、人間が神様の戒めを破って、神様に背いて罪を犯してしまったことが原因です。神のようになることを求めて、善悪の知識の木の実を食べたことで、神様との関係を人間の方から破ったことが発端でした。あくまでも人間に責任があります。

5節から6節を見ますと、こうした状態を神様が御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた、とあります。7節の終わりにも、「わたしはこれらを造ったことを後悔する」という神様の言葉が記されています。これはどういう意味でしょうか。「後悔する」というのは、「まずかった」と思うことであります。「人間を造らなければよかった」と思われたのであります。私たちはしょっちゅう後悔することがありますが、神様が後悔されるとは驚きです。神様には相応しくないことのように思います。6節の「心を痛められた」という言葉も、神様らしくないように思います。けれども、神様は私たちが思い描くような、何事が起こっても何とも感じない冷たい存在ではないのです。神様は心をお持ちになる方であります。心に痛みや苦しみを覚えられるのであります。ですから、人間が徐々に自滅に向かって行くことを放置されません。世界が破壊し尽くされることを望まれません。そこで神様は一大決意をなさいました。それが洪水ということであります。これは13節の終わりで「見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす」と述べられているように、神様の御心によって起されることであります。神様の決断であります。神様が人間どもに腹を立てて滅ぼしてしまおうとされたのではありません。神様が心を痛められた結果の御決意であります。ですから、洪水は単なる破壊ではありません。人間と動物のすべてを破壊し尽くされるのではありません。そこにノアを備えられます。そこに救いの道を開かれます。洪水をもたらされるのは人間に対する神様の審きであるという側面と同時に救いの御業でもあるのであります。

2.神が命じられたとおりに――なぜ、ノアたちが救われたのか

次に、ではなぜ、ノアとその家族だけが洪水によって滅ぼされなかったのか、という問題ですが、ノアは不思議な人物で、聖書の洪水物語の中では、一言も語っていません。ただ、9章の終わりで、洪水が終わって、ぶどう畑を作るようになってから、息子に対して言った言葉が書かれているだけです。洪水物語の中では神様が一方的に語られます。ノアは言われるままに、黙々と神様の言葉に従うだけであります。聖書の中でノアの名が最初に出て来るのは、創世記529節で、そこでは、父親のレメクが生まれた子について、こう言っております。「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」。こう言って、父親は「慰め」という意味の「ノア」という名を付けました。その名のとおり、ノアは洪水を受けた世界において、慰めをもたらす者とされるのであります。また、68節では、ノアは主の好意(口語訳では「恵み」)を得た、と記されています。ノアが家族と共に救われた理由は、何よりも神様の恵みによることであった、ということであります。9節に入ると(別の資料になるのですが)、ノアは神に従う無垢な人であった、と記します。「無垢」というのは、「汚れがない」という意味ですが、口語訳聖書では、「正しく、かつ全き人であった」と訳していました。「全き」と言っても、完全無欠な人格者という意味ではありません。ノアもアダムの血を受けており、悪に染まった世に生きる者でありました。けれども、神様との交わりにおいて、神様を信頼して従うという点において、正しい関係を保っていた、ということであります。そのことを9節の最後で、ノアは神と共に歩んだ、と記しています。これと同じ表現は、5章でアダムの系図が記された中で、唯一24節でエノクに対して言われているだけであります。ノアは人の悪が増した同時代の人々の中で、ただ一人、神様と共に歩むことを許された人物だったということであります。リュティという人はこう言っております。<神様がどのような理由によって、ただ一人ノアが家族と共に救いに入れられたかについては分からなくても、どのような目的のためにノアの救いが起こったかについては、明確に語ることができる>と。神様は人類の救いを行うという目的を果たすための器として、神様の言葉に従う一人の人物を用意されたのであります。

14節では、神様がノアに「ゴフェルの木の箱舟を造りなさい」と命じて、以下には箱舟の構造や寸法から防水方法まで詳しく記されています。箱舟は神様の設計によって造られたということです。ノアが自発的に考案したのではありません。それだけではなく、18節以下には神様とノアの間に結ばれる契約の内容が記されています。それは、箱舟の中に入れる人や動物たちのことであります。そこには、生き延びるようにしなさい、という言葉が二回出て来ます。この契約を守るならば、生き延びることが出来るという約束です。箱船が出来ても、それが神様の救いの器として用いられ、そのことをノアが信じなければ、ノアも家族の動物たちも生き延びることは出来ないのであります。そして最後に22節には、ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした、と書かれています。ノアは疑うことなく、また周囲の人々からは物笑いにされながらも、すべて神様が示された設計図どおりに箱舟を造り、約束されたものを積み込んで、契約を果たしたのであります。

3.生き延びるように――再び神の審きは行われるのか

その契約が果たされた結果どうなったかということは、次週に学ぶのでありますが、皆さんは既にノアの洪水の物語の結果は知っておられます。大洪水が起こって、地上のすべての生き物は死ぬのですが、箱舟に入っていたものたちは生き延びます。こうして、罪の中にあった人間に対する裁きと救いが行われたのであります。だが、それ以後、人間は罪を犯さなくなったわけではありません。5節に書かれていた、「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っている」ことや、11節に書かれていた「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた」ということは、その後の長い歴史の中でも繰り返されて来ましたし、その悪の程度は一層増し、堕落と滅びの道は混迷の度を深めていると言ってよいでしょう。神様はそのような状態を御覧になって、心を痛めておられるに違いありません。それでは、神様はノアの洪水のような地球規模の大災害をもう一度起こして、悪を一掃されるのでしょうか。

そのことについては、来週聴くのですが、先回りして8章の21節を見ていただくと、神様がこう言っておられます。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」と。――では、人間の悪の問題をどのようにして解決しようとなさるのでしょうか。堕落と滅びへと向かう人間を、神様はどのようにして救われるのでしょうか。

神様はノアの洪水以後も人間の背きに心を痛めて忍耐しておられましたが、遂に、御自分の独り子イエス・キリストを、悪がはびこり、滅びへとまっしぐらに進んでいる地上の人間たちの只中へとお遣わしになりました。すると、人間の悪と神様に反抗する罪はイエス・キリストに集中することになりました。しかし、主イエスは、あのノアが、神様に命じられたとおりに箱舟を造って、神様との契約を守ったように、父なる神に命じられたとおりに、十字架の御業を果たされたのでありました。こういう意味で、ノアはイエス・キリストを指し示しています。先ほども紹介したリュティという人は、このことを別の表現で、こう述べています。<ノアより遥か後の時代において、同じ神は別の手術を執行すべく決意なさった>と。ノアの時代に心を痛められた神様は、もっと大きな痛みを覚えつつ、人間に対する愛の故に、主イエスを十字架という手術台にお送りになることによって、罪という病に侵された人間を回復するための手術を行われたのであります。こうして人間は、再び生き延びることが出来るようにされたのであります。

結.現代の箱舟=キリスト教会

しかし、現代においてもなお、「悪が増し、人間は常に悪いことばかりを心に思い計って」いますし、堕落と滅びへの道を辿っています。自然の災害は、先日の豪雨災害を見ましても、未だに脅威でありますし、地球環境の破壊も止まっていませんし、世界の紛争やテロによる破壊活動も治まっていません。人間は知恵を絞って、科学技術の力や、国際協力によって現代の箱舟を造ろうと努力をしていますが、そのような人間が造る箱舟だけでは、人の罪の問題の解決は出来ず、滅びへの道を止めることは出来ません。

そのような中で、神様はイエス・キリストによって、教会という箱舟を備えられました。その箱舟を、地上の各地に建造することも命じられております。そして、この箱舟に乗り込む者は、来るべき終りの日の裁きの時に、救いに入れられることを約束してくださっています。地上で神様が命じられるとおりに教会という箱舟造りを行うことは、「それが何の役に立つの?」という世間からの物笑い(疑問)を受けなければならないかもしれません。小さな箱舟である教会は、世の荒波にもまれて、沈没しそうになるかもしれません。しかし、ここにこそ、世界を救い人類を救う希望があるのであります。私たちは、ノアのように、神様が命じられたとおりに箱舟造りにいそしむときに、救いへと導かれ、永遠の命に生きることが出来るのであります。
 祈りましょう。

  祈  り

造り主なる神様!

私たちは今なお、御心を痛めることの多いものでありますが、地上に箱舟を造ることを命じ、主イエス・キリストのゆえに、滅びより救い出そうとしていて下さいますことを覚えて、感謝いたします。

どうか、お約束を信じて、あなたの命じられるとおりに、箱舟を造ることにいそしむ者たちとならせて下さい。
 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

米子伝道所主日礼拝説教<全原稿>    2010年7月25日  山本 清牧師 

 聖  書:創世記6:9-22
 説教題:「神が命じられたとおりに」
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