主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
                                      (創世記27
 神はどのようなお考えをもって人間を造られたのか。――「神は御自分にかたどって人を創造された」(創127)とある。その意味は、目に見える形が似ているということではなく、神と交わりを持つことができる者、即ち、御言葉を聴いたり、祈ったりすることができる者として造られたということである。同時に聖書は標記のようにも語っていて、人間は元々、土の塵のように価値のないものだけれども、ただ神の恵みによって、神と語り合い、交わることができる者とされ、神によって霊の命を吹き込まれてこそ生きることができる者であることを忘れてはならない。
 ま
た、人は生活するのに必要なものが備わったエデンの園という環境の中に置かれ、「そこを耕し、守る」(215)ことに生き甲斐を見出し、「園のすべての木から取って食べる」(16)という自由を与えられていた。ただし、「善悪の知識の木からは決して食べてはならない」(17)とも言われ、善悪の決定的な判断は神に委ねるべきことも示されていた。更に、神は「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(18)と言われて、対等の立場で助け合うパートナーとして女を造られた。
 こうして人間は、神が備えられたエデンの園において、神の恵みを感謝しつつ、互いに助け合いながら、園を耕し管理する務めを果たしつつ、神との良い関係を続ける筈であった。ところが、与えられた恵みと役目と分際を忘れ、御心に反する罪に満ちた歩みを続けることになってしまう。
 しかし、神はそんな人間を放ってはおかれない。神は御子イエス・キリストを遣わして、神の御心を全うする新しいアダムとされ、この方を信じる者たちをエデンの園に戻す役割を果たさせられた。こうして、現代におけるエデンの園である教会の礼拝において、人は御言葉によって新しい命を吹き込まれ、神との間に本来の関係を取り戻すことが出来るようにされたのである。  

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年7月11日  山本 清牧師 

 聖  書:創世記2:4−25
 説教題:「命を吹き入れられる」
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