「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。
                 (使徒言行録9:17,18より)
 サウロ(パウロ)は、迫害から逃れて行ったキリスト者たちを捕らえようと、ダマスコに向かう途中、突然、天からの光を受けて倒れた。サウロは何の準備も予感もない中で、これまで自信をもって進めて来た行動にストップをかけられる。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声に、圧倒的な力を感じて、「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」との答があった。こうしてサウロは、敵意をもって攻撃して来た主イエスに出会い、その深い愛に満ちた大きな人格に向き合わされる。
 サウロは目を開けたが何も見えない。自分には正しいことが見えていると自信を持っていたが、今、何も見えなくされた。それは、本当のものを見るためである。サウロはダマスコのユダの家に入り、祈っていた。それは、自らの過ちを知り、赦しを乞わざるを得なくされ、これからの歩みについて神の導きを求めるためであろう。
 このことが、ダマスコにいるアナニアという信者に幻で知らされ、サウロを訪ねるよう命じられたが、サウロの行動を聞いていたアナニアは躊躇する。だが、サウロは主イエスの名を伝えるために選ばれた器であることが告げられ、サウロのもとへ出かけて行く。ここにアナニアの回心がある。サウロの回心のために、もう一人の回心が必要であった。
 アナニアがサウロに手を置くと、サウロの目からうろこのようなものが落ち、目が見えるようになった。これは単なる視力の回復ではない。サウロの心の目を塞いでいた思い上がりという「うろこ」が落ちて、主イエスの真実の姿を見る霊的な目が開かれたのだ。私たちもまた、自分が築いて来た生き方や生活を変えることを頑なに抵抗して、主イエスを迫害するのと同様のことをしてしまっているが、主イエスはそんな私たちにも礼拝において出会って下さり、聖霊を満たして、目からうろこを落とし、真実の主イエスの姿を見えるようにして下さるのである。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年5月23日  山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録9:1−16a
 説教題:「目からうろこ」
         説教リストに戻る