イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」         (ルカによる福音書20:25)
              
 主イエスが神殿から商人を追い出したことに対して、祭司長や律法学者たちは主イエスの権威を問うたが(20:1−2)、主イエスは「ぶどう園と農夫」の譬え(20:9−18)をもって、彼らこそ神の権威を侵害していることを指摘された。これに反発した祭司長や律法学者たちは一計を案じて、回し者を主イエスのもとに遣わして、「わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」と問わせた。納税に否定的に答えれば、ローマへの反逆罪で訴えることが出来るし、肯定的に答えれば、民衆の人気を失うことになり、いずれにしても主イエスの権威を失墜できると考えたのである。
 これに対して主イエスは、デナリオン銀貨を取り出させ、「そこには、だれの肖像と銘があるか」と問われた。そこにはローマ皇帝の肖像と名が刻まれていた。ユダヤ人はローマ帝国の支配に反発していたが、まぎれもなくローマの支配によって、平穏な生活が守られていたのである。だから、主イエスは「皇帝のものは皇帝に」と言われた。しかしそれは、世の権力者と妥協して生きることを勧めておられるのではない。続いて、「神のものは神に返しなさい」と言われた。いかに強い権力者といえども、神の支配には服さねばならない。祭司長や律法学者も、自分たちの権威を誇っていたが、その権威は神から預かったものだから、神に返すべきである。この言葉はまた私たちに向けても語られている。私たちには神の像が刻まれており(創世記1:27)、元々、神のものであって、神の権威と御支配のもとにある。私たちの体も、持ち物も、能力も、命も、そして人生も神のために用いてこそ、神にお返しすることが出来る。
 私たちは神から預かったものを自分の自由に使おうとする罪人であるが、イエス・キリストは、私たちに代わって「神のものを神に」を実践して、ご自身をいけにえとして神に返された。それゆえに私たちは、諸々の地上の諸力から解放されて、神のもとへ返された。私たちはこの自由の喜びへと召されている。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年5月16日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書20:20−26
 説教題:「神のものは神に」
         説教リストに戻る