「見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達と近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」         (ルカによる福音書15:5−6)
              
 よく知られた「見失った羊」の譬えであるが、99匹を野原に残して、1匹を捜し回るという点にひっかかる。だが、1匹を疎かにすると全部を失いかねない。見失った1匹のために自分の身の危険をも顧みないで捜し回る羊飼いの愛こそが、100匹の羊を守り抜くことになる。この「見失った羊」とは、当時のユダヤ社会から疎外されていた徴税人や罪人であり、見失った羊を捜し回る羊飼いこそ、彼らを救い出すために命を惜しまない主イエス御自身である。主はそのような愛をもって、私たちをも捜し求めて下さるというのが、この譬で語られている第一のメッセージである。
 この譬では、見つけられた羊の喜びは語られておらず、見つけた羊飼いの喜びが、少々大袈裟だと思われるほどに語られている。そこでは、迷い出た羊の過ちは問題にされていない。ファリサイ派の人々や律法学者は、主イエスのことを「罪人を迎えて、食事まで一緒にしている」と言って非難するが、主イエスは、罪人たちを放って置くことができず、人々から誤解を受け、それが十字架にまで至ることを承知の上で、彼らの救いを求められる。このように、失われた私たちを見つけ出すことを、主は如何にお喜びになるかということが、この譬で語られる第二のメッセージである。
 この譬は、ファリサイ派の人々や律法学者に向けて語られた。彼らは自分たちを清く保って、問題があるとされていた人々を裁いていた。だが、主イエスは、人々から裁かれ、問題を起こしている人と共におられる。この譬えを通して、<そんな主イエスと一緒に喜べますか>と、私たちは問われている。主イエスの御心から離れているのは、ファリサイ派の人々や律法学者であり、実は、私たちではないか。そんな私たちをこそ、主イエスは見つけ出そうと、礼拝の場に来て、「一緒に喜んでください」と、喜びの席へ招いて下さっているのである。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年5月2日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書15:1−7
 説教題:「一緒に喜んでください」
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