「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。」
              (ルカによる福音書12:4−5)

 主イエスのもとに「数えきれないほどの群衆が集まって来て」(1)、弟子たちは喜ぶどころか、主イエスに敵意を持ってやって来るファリサイ派の人々を恐れていた。そんな弟子たちに主イエスは「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である」(1)と言われた。これは、ファリサイ派の人々に騙されないようにとの警告であると同時に、弟子たち自身が人の目を恐れるあまり偽善に陥っていることを見抜かれているのだ。私たちの様々な恐れの根底には人の目に対する恐れがある。
 そんな私たちに、主イエスは、恐れる必要がない理由を三つ挙げられる。
 第一は、「覆われているもので現されないものはなく、・・・」(2−3)と言われた。これは、偽善はやがて化けの皮がはがれるという意味だけでなく、やがて主イエスの十字架と復活の御業によって、罪からの救いが明らかになるので、もはや罪を隠して上辺を飾る必要がなくなるということを言われたのである。
 第二は、標記のように言われた。普通は、命を奪われたら最悪の事態だと考えるが、主イエスは、恐ろしいのは死ぬことではなく、その後に地獄に投げ込まれる(神との関係が断絶する)ことであり、地獄か天国かの仕分けの権威を持っておられる神をこそ恐れるべきであると言われる。だが、私たちを「友人」(4)と呼んで下さる主イエスが執り成して下さるので、罪深い私たちも恐れる必要がない。
 第三は、自分の良い所、悪い所を誰にも正確に知られていないのではないかとの恐れに対して、神は私たちの髪の毛の一本一本までも御存知であると、主イエスは言われる。その神が私たちを最もよく生かして下さるので、恐れる必要はないのだ。雀のことさえお忘れにならない神は、礼拝をする私たちをお忘れになることはない。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年4月25日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書12:1−7
 説教題:「だれを恐れるべきか」
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