「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 (ルカによる福音書1041,42

 マルタは主イエスの一行をもてなすために精一杯のことをした。それは追いはぎに襲われた人のために精一杯のことをしたサマリア人と同様に称賛されるべき行為である。だが、そこにも落とし穴があった。マルタは自分が忙しく立ち働いているのに、マリアが何も手伝わずに主の話に聞き入っているのを見て腹を立て、主イエスに向かって、「何ともお思いになりませんか」と言って非難し、おまけに「手伝ってくれるようにおっしゃってください」と命令までした。マルタは自分のしていることが正しく、役に立っていると自負しているが、マリアのしていることに意義を認めていないばかりか、十字架に向かわれる主イエスが切迫感をもって伝えなければならないと思っておられる神の国のことに対して理解がないということでもある。
 このようなマルタを主イエスはお叱りにならず、深い憐れみをもって、標記のように語られた。マルタが心を乱したのは、多くのことに思い悩んで、なくてならぬただ一つのことが抜けていたからだ。マルタのしていたことが不必要だというのではない。だが、主イエスの言葉に耳を傾け、神の国の約束を信じてこそ、思い悩みと心の乱れから解放される。マルタははじめ、聞く耳を持たず、ただ自分の思いだけを主イエスにぶつけた。しかし、主はマルタに最も必要なことを語られ、聞かない者を聞く者へと変えられた。
 私たちも、なすべきことは多い。隣人のための奉仕も必要である。教会の奉仕も欠かせない。だが、奉仕だけが先行したのでは、思い悩みや心の乱れしか起こらない。礼拝において御言葉を聞くことから押し出されて、はじめて神と人のために喜びをもって働くことが出来るのである。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年4月18日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書10:38−42
 説教題:「必要なことはただ一つ」
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