一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
                 (ルカによる福音書24:30−31)
 
 主イエスが復活された日、二人の弟子がエルサレムからエマオの村に向かって歩いていた。彼らは、主イエスこそ「イスラエルを解放してくださる」(21)との大きな期待をかけて従って来たが、主が十字架に架けられて殺されたことによって、その望みはあっけなく失望に変わった。この朝、主イエスの墓を訪れた婦人たちが、天使より「イエスは生きておられる」(23)と告げられたことも信じられず、ただ困惑するばかりで、失意のうちに、当てもなく出身地(と思われる)エマオへと向かっていた。
 そんな二人を復活の主は放っておかれない。二人に近寄って話しかけられた。だが彼らの目は遮られて、イエスだとは分からず、暗い顔をしながら、この数日に起こったことを話す。この二人の目を開くために、主は二つのことをなさった。一つは、「聖書全体にわたり、御自分について書いてあることを説明される」(25−27)ことであり、今一つは、エマオに着いてからの食事の席で、「パンを裂いてお渡しになる」(30)ことであった。すると二人の目が開け、イエスだと分かり、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(32)と語った。「心は燃えていた」とは、聖霊が働いていたのである。こうして、二人は「時を移さず」(33)エルサレムへ戻って、主を証しする群れに加わった。
 この二人の姿は、私たちの姿を写し出している。私たちも、主イエスに期待しつつも、十字架の死と復活の出来事に困惑せざるを得ない。主イエスに自分の人生を委ねるべきかどうか戸惑う。そんな私たちに主イエスは寄り添って下さり、聖書の御言葉の説き明かしと、聖餐をもって、心の目を開いて下さる。そして、失意と困惑から脱出して、主を証しする教会の働きへと向かわせて下さる。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年4月4日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書24:13−35
 説教題:「復活の主との出会い」
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