あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。」
                            (ヨハネによる福音書1519

 主イエスは弟子たちに「世はあなたがたを憎む」と言われた。「世」とは、直接的には当時のユダヤ人たちのことであるが、主イエスを受け入れない人たち全般を指していると受け取ってよい。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)のであるが、「世」はイエス・キリストを受け入れないのである。
現代日本において、キリスト者が「世」から憎まれるとか迫害されるというのは当らないように思われるが、キリストが容易に受け入れられないという点では当時と変わっていない。その中で、キリスト者自身も、敢えて「世」と事を荒立てないように妥協して、「世」の「身内」になってしまっていて、「実を結ばない枝」になっているのではないか。

 だが、主イエスは標記のように、「あなたがたは世に属していない」と断言される。なぜなら、「わたしがあなたがたを世から選び出した」からである。そして、「世はあなたがたを憎む」のは必然なのだ。憎むとか迫害されるという言葉はぴったりでなくても、様々な摩擦や抵抗を経験しなければならない。だが、自分たちだけで苦しむのではない。「あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい」(18)と言われ、「だれも行なったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる」(24)と言われる。つまり、主イエスが「世」に来られて、御言葉を語られ、御業をされることによって、「世」の人々が神の方を向かずにいる「罪」が、いよいよ明らかになり、ついに主イエスを十字架に架けてしまったのである。だが、そこにこそ、罪からの救いの道筋が示されている。「世」の人々はなお、父なる神と主イエスを受け入れようとせず、キリスト者は「世」との摩擦に苦しまねばならないが、主イエスは弁護者である真理の霊(聖霊)を送って、私たちの証しの業を助けて下さると約束された(26,27)

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年2月28日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書15:18−27
 説教題:「主の業と罪」
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