「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。           (ヨハネ1427

 この世を去られる主イエスに代わって、神が弁護者(真理の霊=聖霊)をお遣わしになると語られた主イエスは、その聖霊によって何が起されるのかを弟子たちに話された。
 まず、「あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことを思い起こさせてくださる」(26)と言われる。ここで「思い起こす」とは、単に記憶が甦るだけではない。主イエスが話された言葉に込められた思いと愛が私たちに迫ってくるということであり、私たちが神の方に向き直って、神との霊的な交わりが回復し、神の愛(赦しの愛)の中に私たちも生き始める(人を愛し始める)ということである。
 続いて、そのことを「平和(平安)」という言葉を用いて、標記のように語られた。世界平和のための様々な努力が行われているが、ここで言われているのは「わたしの平和」であり、主イエスが御自身の血をもって勝ち取って下さった、神と人との間の平和のことで、それが御自身に代わって遣わされる聖霊の働きによって、私たちにもたらされるのである。この世の戦争をはじめ、様々な争いやいがみ合いの大元にあるのは、人間の罪であり、その大元が主イエスと聖霊の働きによって取り除かれなければ、地上に真の平和は訪れない。だが、主イエスの「事が起こったとき」(29)即ち、十字架と復活の御業が起こり、聖霊が与えられるとき、もはや「世の支配者」(30)はどうすることも出来ない。罪の力もサタンも、もはや手が出せず、主の愛が勝利するのだ。主は、「さあ、立て。ここから出かけよう」と私たちに呼びかけられる。私たちにはまだ不安がある。だが、主イエスが先頭に立って十字架の道を歩まれるので、そこから立ち上がれる。そして、主が約束されたように、弁護者である聖霊が伴って下さる。そして、私たちの日常生活の中で、救いの福音を宣べ伝えるという「大きな業」(12)に仕えさせて下さる。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2010年1月24日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書14:25−31
 説教題:「さあ、立て。出かけよう」
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