「いと高きところには栄光、神にあれ、
   地には平和、御心に適う人にあれ。」
(ルカによる福音書214

 主イエスの誕生の時、ローマ皇帝によって住民登録が強いられたため、マリアは身重の体で長旅をし、家畜小屋で出産し、幼子は飼い葉桶に寝かされねばならなかった。ここに、権力者の闇が覆っている。また、羊飼いの日常は暗闇の中での野宿生活であった。これらのことが象徴しているように、現代の私たちの生活も、先の見えない不安や、人間の罪が噴出する状況の中で、暗闇に覆われている。
 そのような暗い世界に、この日、天使が近づき、主の栄光が周りを照らした(9節)。私たちが光を招き寄せることは出来ない。光は天から射し込む。羊飼いたちは恐れた。この恐れは暗闇に対するものではなく、主の栄光に照らし出される恐れである。礼拝において、天から射し込む御言葉の光も、私たちを恐れさせる。自分のこれまでの生活が明るみに出され、安住が破られるからだ。だが、天使は「恐れるな」と言って、救い主の誕生を告げる。そして、飼い葉桶に寝かされている乳飲み子こそ、救い主のしるしだと言う(12)。神が小さく貧しくなって、私たちと共にいて下さるのだ。これは、十字架において、私たちの罪を負って下さる救い主を指し示している。
 この時、天の大軍は、「いと高きところには栄光、神にあれ」と言う。主イエスの誕生は、人間のためである前に、神の栄光のためなのだ。人間の罪が神の栄光を曇らせている。だから、神が栄光を現わすために、人間の罪の問題の解決に乗り出されたのだ。また、「地には平和、御心に適う人にあれ」と言う。平和とは神との間の平和である。私たちは御心に適う人ではない。だが、主イエスの十字架の故に、御心に適う人と認めて下さる。こうして、神との間の平和が回復される。羊飼いたちは、これらの光景を見て、それを人々に知らせた(17)。私たちもまた、この日に見た光を証しする者とされたい。

 米子伝道所クリスマス礼拝説教<要 旨> 2009年12月20日 山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書2:1−20
 説教題:「栄光、神にあれ」
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