「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」            (ヨハネによる福音書1423

 主イエスの弟子たちは、主イエスのもとに人生の居場所を求めて、主に従った。だが、主イエスが十字架を予告され、弟子の裏切りと離反も予告されたので、自分たちの居場所がなくなるのではないかと不安をつのらせていた。その時、主は、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」1節)と言われ、続けて標記のように述べられた。
 「父の家」という言葉は、かつてはエルサレムの神殿のことを指して言われたが、ここでは「場所を用意しに行く」ということで表わされている十字架と復活の御業によって建て直される新しい神殿、即ち天上の礼拝場所、神の国のことである。弟子たちも私たちも、主イエスを裏切ったり、離反したりするが、十字架の贖いの故に、赦されて「父の家」に住むことが出来るようにされたのである。
 「父の家」(神の国)は、私たちが死んでから行く所ではない。主イエスを信じ、神を信じるならば、今、この地上において、「父の家」に迎え入れられるのである。「住む所」とは、特定の場所というより、主イエスのもとに「とどまっている」状態、修復された神との関係を指す。その状態・関係は、私たちが勝ち取るのではなく、主イエス・キリストにおいて、神が私たちの所に来て下さったことによってつくられた。「父の家」は決して遠い所にあるのではなく、実に、神が共にいて下さる私たちこそが「神の居場所」なのである。
 信仰に入ることは、この神と共なる生活が始まることであり、それはまた、先に召された故人と同じ所に住むことでもある。その「神の居場所」は、私たちが地上に生きている間は未完成であるが、終わりの日に完成する。その日を待ち望みながら、主と共に、また故人と共にあることを覚えつつ礼拝生活を続けたい。

 米子伝道所召天者記念礼拝説教<要 旨> 2009年11月1日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書14:1−3、Tペトロ2:11−12
 説教題:「天の居場所」
         説教リストに戻る