イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」               (ヨハネによる福音書1321

 主イエスが弟子たちの足を洗うことによって、罪に汚れた弟子たちを清めるために十字架にお架かりになることを示された後、「わたしの遣わす者(弟子たち)を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方(父なる神)を受け入れるのである」と、弟子たちの重要な使命について話し終えられると、標記のように、その弟子の一人が主を裏切ろうとしていることを言明された。それは、「心を騒がせ、断言された」とあるように、裏切ろうとする者を捉えているサタンと真正面に向き合う十字架の苦悩が込められた厳粛な言葉である。
 これを聞いた弟子たちは、「だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。」誰も<私は違う>と言える自信はなかったのである。私たちも同様である。「主よ、それはだれのことですか」と問うと、主は「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えて、イスカリオテのユダにお与えになった。主はユダを愛され、会計係として信頼し、その足も洗われた。ユダも主を愛していた。だから、弟子たちは誰も、まさかユダが裏切るとは思わなかったようである。しかし、主の愛が迫るところこそ、サタンが入り込みやすい。主イエスは「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と言われる。主はユダの決断を受け入れられ、十字架への道を進もうと決心なさる。
 ユダは「夜」の闇の中へと出て行く。しかし、そのユダを、主の愛の光が包んでいる。ユダの裏切りは、罪からの救いの十字架につなげられる。私たちもまた、主イエスの愛を受けながらも、裏切ってしまう者たちである。しかし、主は、私たちの裏切りを、十字架でしっかりと受け止めて、サタンを滅ぼし、「光」として輝いて下さって、闇の中を漂い始める私たちを、もう一度「光」の中に生きる者に変えて下さるのである。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2009年10月25日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書13:21−30
 説教題:「裏切ろうとしている」
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