「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。」                   (イザヤ書2816

 預言者イザヤは「嘲る者らよ、主の言葉を聞け」(14)と呼びかける。呼びかけられているのは、南王国ユダの指導者たちであるが、この世の知恵や力に頼って神に信頼しない私たちも聞かねばならない。
 大国アッシリアの圧力が迫る中で、ユダの指導者は、もう一方の大国エジプトと同盟を結ぶことで、死や陰府から免れ、洪水のように押し寄せるアッシリアの攻撃を避けられると考えた(15節)。それに対して主なる神は標記のように言われる。「一つの石」とは神と民との信頼関係の礎として据えられるもので、出現が待たれていた救い主メシアを指し示し、新約聖書ではイエス・キリストのことだと理解されている(Tペトロ218)。この石は、「試みを経た石」と言われているように、灼熱の太陽や激しい風雨に曝されても耐えて風化しない石であり、主イエスがサタンの試みや十字架の試練にも耐えて勝利されたことを連想させる。「シオン」とは、エルサレム神殿のある丘のことであるが、「一つの石」を礎として建てられる教会を指していると受け取ることが出来る。かくて、主によって据えられた「一つの石」を信じる者と、そこに建てられる教会は、どのような試練に遭遇しても「慌てることはない」のである。
 だが、主を信頼しなかった南王国ユダは、エジプトに助けを求めたが、援軍はあっさりと敗退し、結局、アッシリアによって重い貢ぎ物を強いられることになる。こうして、主を嘲ることをやめなかったことに対する裁きは国全体に及ぶことになった(22)。しかし、農夫が行なう農作業が穀物の種類によって異なるように(2428節)、主の裁きも一律ではない。アッシリアは政治的判断からエルサレムをエジプトとの緩衝地帯として滅ぼさなかった。その背後には、神の大きな計らいがあったのだ(29節)。主を信頼しない私たちに、主はもう一度、「わたしの声に耳を向けよ」(23)と呼びかけて下さっている。 

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2009年10月4日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書28:14−29
 説教題:「信じる者は慌てない」
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