イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。      (マルコによる福音書25

 主イエスがある家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。主イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことが出来なかったので、外階段から屋上に上がって、屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。彼らの熱意は分かるが、非常識な行動である。ところが、標記のように、主イエスは「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。この言葉は、中風の癒しを期待してやって来た人たちの望みとはずれているように思える。だが、病気には不安や恐れが伴い、神への不信仰が頭をもたげる。主イエスは病人の体が不自由になっていることを思い遣られるだけでなく、罪に陥っていることを深く憐れまれたのである。病人にとって、病気が癒されることも大事だが、病気によって損なわれた神への信頼の回復の方がもっと大事なのだ。
 主イエスは「その人たちの信仰を見て」おられる。主イエスへの期待が大胆な行動を生んだ。だがそれは、御利益信仰の域を出ない。裏側には病気に対する不安や恐れがある。しかし主イエスは、そのような不完全な信仰をも信仰と認め、罪の赦しを宣言し、本当の信仰へと引き上げて下さる。
 その場にいた律法学者は、主イエスを神の子と認めていないので、主イエスの言葉が神への冒涜に当たると考えた。また、口先で罪の赦しを言うのは易しいが、病気が癒されなければ何にもならないと思った。その心の中を見抜かれた主イエスは、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と言われ、中風の人に「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われると、その人は起き上がり、すぐに床を担いで出て行った。主イエスの言葉は、その通りになる。主イエスは人々の不信の罪を一身に背負って十字架にお架かりになった方だから、私たちの体の病も罪も癒すことが出来るお方なのである。

 米子伝道所伝道礼拝説教<要 旨>     2009年9月27日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書2:1−12
 説教題:「ほんとうの癒し」
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