「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。」
                (ヨハネによる福音書
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 ヨハネによる福音書1244節以下は、主イエスの宣教活動の最後の部分であり、これまで語って来られたことの要約を、万感の思いを込めて「叫んで」(44)おられる。
 まず、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである」(4445)と。「見る」とは、主イエスを神の子として受け入れ、人格的な交わりを持つことであり、それが、主イエスを信じ、主イエスを遣わされた神を信じることになる。「いまだかつて、神を見た者はない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハネ118)。
 次に、標記のように断言された。この世は暗闇に覆われていて、私たちはそこから抜け出せない。闇の奥には、神との関係が損なわれた私たちの罪があるからだ。その私たちのために、主イエスが「光」としてこの世に来て下さった。罪の中にある私たちを裁くためではなく、救うためである。だが、主はその後で、「わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く」(48)と。主イエスの教えの言葉を「守らない者」は、主イエスの赦しのゆえに裁かれないが、その赦しの福音の言葉を「受け入れない者」は、終わりの日に神の前で決定的な裁きを受けるのである。
 最後に、「父の命令は永遠の命である」と言われる。父の命令とは、一言で言えば、<主イエスを信ぜよ>という命令である。この父の命令こそが、私たちと神との関係を永遠に保ち、私たちを生かす命なのである。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2009年9月20日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書12:44−50
 説教題:「光として世に来た主」
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