「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」            (ヨハネによる福音書1235,36

 十字架の時が近づく中で、主イエスは「今、わたしは心騒ぐ」と言われた。これは、死ぬことを恐れてではない。人々の罪の重さが主を苦しめているのだ。主は続けて、「しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください」と祈られる。主は神の栄光を現すために、命を捨てる使命を果たすべき時が来たことを表明されたのだ。この祈りに対して、天から「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう」との声が聞こえた。これまでも数々の御業を通して神の栄光が現されて来たが、十字架の御業によって、決定的に御栄光を現されるのである。群衆はそれが神の声と分からず、その意味も理解出来なかったが、主イエスは「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ」と言われ、「今こそ、この世が裁かれる時、今、この世の支配者が追放される」と、十字架の時が、罪に対する裁きと、サタンの支配が終わる時であることを告げられた。では、私たちも神に捨てられなければならないのか。否。主は続けて、「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」と言われる。主が十字架に上げられることによって、すべての人が主のもとに招かれるのである。群衆は旧約聖書の知識をもとに、永遠の存在であるメシアが十字架にかけられることを理解出来なかったが、主イエスは標記のように述べられて、主イエスが招いておられるこの時こそ、私たちが暗闇から逃れ、光の子となる時であることを示された。十字架のイエスのところにこそ、光があり、神の栄光が現されるのだ。主は「光のあるうちに、光を信じなさい」と私たちをも招いておられる。この時を逃しては、光の中を歩き続けることは出来ない。今、招きの御言葉があるうちに、光である主を信じる決断が必要なのである。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2009年9月6日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書12:27−36a
 説教題:「光の子となるために」
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