しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。    (ペトロの手紙一2:9)

 直前の箇所では、主イエスが「生きた石(尊いかなめ石))であり、主を信じる者も「生きた石」として用いられて、「霊的な家=教会」に造り上げられているが、信じない者たちにとっては、「つまずきの石、妨げの岩」になっていることが語られていた。(248)それを受けて、ここでは、「しかし、あなたがたは」と、主イエスを信じる者の立場が語られる。
 私たちは、誇るべきことは何もなく、神の一方的な選びによって神の民とされ(申命記778、Tコリント12629)、神と人々との間を執り成す祭司の役割を与えられ、主イエスの贖いの故に、聖なる(区別された)民とされ、新しい契約による神の宝の民(神の所有物)(出エジプト195)とされたのである。
 教会を取り巻くこの世は、異教の世界であり、暗闇が覆い、私たちの力では何の解決も希望も見出すことが出来ないようにさえ思われるが、神が私たちを選び、罪と悪と死が支配する暗闇の世界から、「驚くべき光の中へと招き入れてくださった」のである。(イサヤ6012参照)
 このような救いにあずかることは、個人的なことに留まらず、救われた者の集団(教会)に加わり、主の「力ある業を、広く伝える」使命を担うことになる。私たちは現実の生活の中で、神の民とされた自分の立場を忘れ、望みを見失いがちになるが、かつては「憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けて」(210→ホセア129参照)、「神の民」へと大きく転換させられたという立場は、決して失われることはなく、イエス・キリストという霊的なバッテリーの電源に接続している限り、主の栄光を現すことが出来るのである。 

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2009年8月30日  山本 清牧師 

 聖  書:ペトロの手紙一 2:9−10
 説教題:「選ばれた民」
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