「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」 (ヨハネによる福音書1215=ゼカリア99からの引用) 
 主イエスがエルサレムに来られたように、主は私たちの礼拝にも来られる。エルサレムでは大勢の群衆が歓呼して迎えたが、彼らは主イエスのなさった奇跡を見聞きして、主こそ自分たちをローマの支配から解放してくれる「イスラエルの王」であると期待した。だが、主イエスがそのような期待に応える方でないことが分かると、「十字架につけよ」と叫ぶ群衆に変わってしまった。私たちもまた、この世で生活する上で困っている諸問題を解決して下さるお方として主イエスを迎えようとする。だが、そうした期待が叶わないと、主イエスを自分の生活の中から追い出してしまう。
 これまでは、主イエスは、群衆が誤った期待をした時は、彼らから退かれた(615)。今回も、彼らの期待と主が与えようとされていることとの間には大きな違いがあるのだが、主はそれを容認するかのように、その食い違いの真只中を進まれる。
 ただし、主は凱旋将軍のように、威風堂々と馬に乗って入城するのではなく、標記のように、ろばの子に乗ってである。それは、主が力によって勝利するのではなく、十字架に至るまでもへり下られることによって、罪に勝利され、神と人との間の平和を取り戻そうとされていることを示している。そのことを、この時は、弟子たちも、ラザロの甦りを見た群衆も、「何をしても無駄だ」と嘆いていたファリサイ派の人々も、分かっていなかった。その中で、主はただ独り、十字架への道を真直ぐに歩まれた。
 私たちもまた、そのような弱々しい主イエスに戸惑いを覚えざるを得ないのであるが、礼拝に来られる主は決して軍馬にまたがってではなく、ろばの子に乗って来られる。だが、この方こそ「まことの王」なのである。この方が来られたことによって、真の平和は既に始まっている。この主を喜んでお迎えする所からは、恐れが消えて、本当の平和が始まる。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2009年8月16日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書12:12−19
 説教題:「まことの王」
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