「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」   (ヨハネによる福音書1114

 マルタとマリア姉妹の兄弟で、主が愛しておられたラザロが病気だとの知らせを受けると、主は「この病気は死で終わるものではない」と言われた。それは<病気が死に至るほどの重いものではない>という意味ではなく、<ラザロが死に至ることがあっても、決して死で終わらせない>との愛を込めた宣言である。
 だが、主イエスは、すぐには出かけず、なお二日間滞在される。その後、弟子たちに「もう一度、ユダヤに行こう」と言われた。そこにはラザロが待っているが、主イエスを殺そうとする人たちも待っている。弟子たちは躊躇するが、主は「わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない」と言われる。罪と死が支配する世界に、命をもたらす業のために出かけられるのである。主は、「わたしたちの友ラザロは眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く」と言われる。ラザロを「友」と呼び給う主は、「友のために自分の命をすてること、これ以上に大きな愛はない」(1513)と言われる方である。主は御自身の命を捨てる覚悟をもって、ラザロのところに出かけられるのだ。
 主はラザロが既に死んだことを御承知の上で、標記のように言われる。ラザロが主の命をかけた愛によって生き返らされる御業と、主イエスの十字架と復活が結びつくことで、弟子たちをはじめ、私たち皆が、主イエスへの信仰を確実にすることになるからである。
 生き返ったラザロの地上の命は、やがて終わる日が来る。私たちの地上の命も同様である。だが、私たちのために御自分の命をもって、私たちを生かして下さる主イエスと私たちの愛の関係は、永遠に滅びることがない。この信仰を与えられることこそ、私たちが死のためにできる最高の備えである。 

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2009年6月14日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書11:1−16
 説教題:「死で終わらない」
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