「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」
                  
(ヨハネによる福音書1016

 主イエスは、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(1011,1415)との恵みに満ちた言葉を語られたのに続いて、標記のように述べられた。「囲いの中の羊」とは、旧約聖書の伝統からすれば、イスラエルの民のことであるが、主は囲いの外の異邦人をも救いに導き入れようとされた。こうして、私たち異邦人も、「教会」という新しい囲いの中に入れられることになった。
 しかし、主イエスは、更に「教会」という囲いの外の羊をも視野に入れておられる。主は、「その羊もわたしの声を聞き分ける」と言われる。主は囲いの外の羊も、主の声を聞き分ける羊にしようとしておられるのだ。
 ところで、私たちは、そのような主の声を聞き分け、主の心と一つになっている羊だろうか。私たちは、いつの間にか囲いの外に飛び出している羊ではなかろうか。だが主は、そのような、いい加減な羊さえも「導かなければならない」という、強い意志を持っておられるのである。
 こうして、羊は「一つの群れになる」と断言される。現実の教会には多くの分裂・分派がある。だが、一人の羊飼いである主イエスに導かれている群れは一つなのである。(それを使徒信条では「聖なる公同の教会」と呼んでいる。)
 では、主イエスは、信者と未信者の区別や正統と異端の区別は無視すべきで、囲いは不必要だと言っておられるのか。そうではない。「羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者」(101)について警告され、「わたしは羊の門である」(107)と言われた。キリストという門からしか入れない囲いが必要なのである。
 更に、主は18節で、「わたしには、それ(命)を捨てる力があり、またそれを受ける力もある」(口語訳)と言われる。これは十字架と復活のことを言っておられる。主イエスが、「囲いの外の羊をも導かなければならない」と言われる後ろには、強い意志だけでなく、命を捨て、また受ける力(権威)をも持っておられるのである。主は、その力をもって、囲いの外の羊をも、囲いの中へ導かれるのである。私たちは、自らが囲いの中へと招かれていることを喜ぶとともに、羊飼いである主イエスの心を聞き分ける者として、迷っている羊のために、主と共に働く者とされたい。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2009年5月10日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書10:16−21
 説教題:「囲いの外の羊」
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