神に従う者の行く道は平らです。あなたは神に従う者の道をまっすぐにされる。                 (イザヤ書26:7)

 イスラエルは大国の支配下にあって、神の支配が見えにくくなっていて(26:13)、その苦難は、産みの苦しみをした妊婦が風を産むように、空しく救いのない状態であった(16-18)。イスラエルが歩まねばならない道は、決して平坦ではなく、起伏に満ち、紆余曲折が予想された。その中で預言者は標記のように語る。なぜ、そう言えるのか。「主よ、あなたの裁き(正しい支配、公義、法)によって定められた道を歩み、わたしたちはあなたを待ち望みます。あなたの御名を呼び、たたえることは、わたしたちの魂の願いです。・・・わたしの中で霊はあなたを捜し求めます」(8-9)と言う。「魂」や「霊」は「息」という意味も持つように、生命の源を表わし、人が神との交わりによって生きるために与えられているものである。つまり、神を礼拝し賛美することを、霊の命が求めているのであり、この願い(祈り)から、神に従う者の、平らでまっすぐな道が見えて来るのである。
 一方、「神に逆らう者は、憐れみを受けても、正しさを学ぶことがありません」(10)、「あなたの高く上げられた御手を彼らは仰ごうとしません」(11)と言うように、神に逆らう者は神の憐れみ(恵み)を受けながらも、感謝せず、礼拝もしない。彼らは神の裁きの火によって焼き尽くされざるを得ないのだ。これは私たちにも向けられた警告である。
 こうして預言者は、主が、真の平和を授け、すべての業を成し遂げてくださることを告白する(12)。更に、「塵の中に住まう者は、目を覚ませ、喜び歌え。あなたの送られる露は光の露。あなたは死霊の地にそれを降らせられます」(19)と、死者の復活の希望を語る。
 現代も神の支配が見えにくい時代である。私たちは人間の罪の塵の中に住まわざるを得ない。だが、神は、イエス・キリストを送って、「光の露」(命をもたらす力)を降らせて下さった。だから、「神に従う者」は目を覚まして、平らでまっすぐな道を見据えつつ、喜びに満たされて歩むことが出来るのである

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>     2009年3月29日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書26:7−19
 説教題:「神に従う者の道」
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