「あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」       (ヨハネによる福音書9:33

 生まれつき目の見えなかった人が、主イエスによって見えるようにされたことを受け入れられないファリサイ派のユダヤ人たちは、彼の両親を呼び出して問い質すと、両親は、息子がみえるようになったことは確認したが、誰が目を開けたのかは、「本人にお聞きください。もう大人ですから」と答えた。それは、イエスをメシアと告白する者を会堂から追い出して村八分にすると決めていたユダヤ人たちを恐れたからである。こうして、目を見えるようにされた人は、主イエスに敵対する人たちの前に「大人」として立つことになった。ユダヤ人たちは、あらためて本人を呼び出して、「正直に答えなさい」と詰め寄るが、彼は「今は見える」という事実を堂々と述べた。そのように言えたのは、彼が肉体の目だけでなく、信仰の目も開かれたことを物語っている。
 ユダヤ人たちは更に、どうやって目が開かれたかを問うて、イエスが安息日に禁じられた行為をしたことを言わせようとするが、彼は皮肉混じりに「あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか」と言う。その言葉は、主によって目を開かれた者は、弟子として主との永続的な関係に入れられたのだとの認識を示している。
 これに対して主を罪人だと見ているユダヤ人たちは、自分たちをモーセの弟子だとして誇るが、目が見えるようにされた人は、標記のように、主こそ「神のもとから来られた」と告白した。ここに、彼の信仰が大人に成長したのを見ることが出来る。 彼はそのために、会堂から追い出されることになったが、そこから彼の新しい信仰生活が始まることになる。
 私たちも、主イエスの救いの業にあずかって、心の目を開かれた者である。その事実を告白することは、様々な抵抗や不利益を招くかもしれないが、そこから、大人の信仰へと成長させられ、新しい信仰生活へと導かれるのである 

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>      2009年3月15日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書9:18−34
 説教題:「信仰の成長」
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