「はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」          (ヨハネによる福音書8:51               
 主イエスに反感を抱くユダヤ人たちが、「あなたは自分を何者だと思っているのか」(53)(ののし)った。だが、彼らの無理解な(ののし)りに対して主イエスが語られた言葉の中にこそ、主イエスが何者であるかの答えがある。
 まず、「あなたは悪霊に取りつかれている」(48)との罵りに対して、「わたしは、自分の栄光を求めていない」(50)と言われる。主は、私たちを救うために、十字架に至るまで御自分の栄光を捨てて下さるお方である。
 続いて、神が主イエスの栄光を求めると言われる(50.54)。その栄光とは、標記に述べられているように、主イエスの言葉によって、人が決して死ななくなるという、栄光に満ちた御業のことである。ここで、「死ぬことがない」とは、肉体的な命のことではなく、神との良い関係に生きる霊的な命のことである。主イエスは、御言葉を守る(聴き続ける)者に、神との永遠の関係を保証して下さる「命の主」なのである。
 次に主は、「わたしはその方(父なる神)を知っている」(55)と語られ、「アブラハムは、わたしの日(降誕の日)を見るのを楽しみにしていた」(56)と言われるように、主イエスは神のところから地上に来られたお方であり、私たちに神を示して下さる唯一のお方である。
 最後に主は、「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」(58)と言われて、世の初めからおられる「先在のキリスト」であることを示されると共に、「わたしはある」との神の名を用いて語られることによって、「神の子」であることを明らかにされた。
 主イエス・キリストは、以上のようなお方であるから、様々な歪みによって将来に対する不安に満ちている現代にあっても、迷うことなく、この方の御言葉を守る(聴き続ける)ことによって、神との断絶を回避でき、永遠に神との生きた関係を保ちつつ歩み続けることができるのである。

 米子伝道所主日礼拝説教<要 旨>       2009年2月15日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書8:48−59
 説教題:「主の言葉を守るなら」
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