「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」               (ヨハネによる福音書8:31b−32

 この言葉は、「御自分を信じたユダヤ人たちに言われた」(31)とされている。しかるに、そのユダヤ人たちが、「わたしを殺そうとしている」(37)と言われ、「石を取り上げ、イエスに投げつけようとし」(59)、ついには、主を十字架につけるのである。彼らの信仰は本物ではなかった。私たちも同様である。では、どうすれば本物になるのか。それが標記の言葉である。
 「わたしの言葉にとどまるならば」というのが、その答えである。「とどまる」とは、「泊まる」「つながる」とも訳される。「ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができない」(ヨハネ15:4)と言われているように、御言葉が実生活における判断や行動に生かされてはじめて、「本当にわたしの弟子」になることが出来るのだ。
 「真理を知る」のは、学問的探求によるのではなく、あくまでも主の御言葉にとどまることによる。真理とは主イエスの言葉であり、キリスト御自身のことである。更に、「真理はあなたたちを自由にする」と言われる。ユダヤ人たちは、自分たちがアブラハムの子孫であり、神に選ばれた民であり、律法を与えられて、それを守っていることで、たとえ国が、政治的・経済的に隷属状態であっても、宗教的・精神的には自由であると誇っていた。しかし主は、「罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である」(34)と言われる。律法を守っているつもりで、実は律法の奴隷になり、神との関係が損なわれていることに気付いていなかった。私たちも、自分の生き方に誇りを持ちながら、内実は、御言葉にとどまらず、罪の奴隷になって、本当の自由を失ってしまっているのではないか、と問われている。
 主イエスは、「もし子があなたを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる」(36)と言われる。神の子である主が、私たちの不信仰のために、ただ独り十字架に架かられることによってこそ、私たちは罪の奴隷から解放されて、本当の自由を得るのである。

 米子伝道所主日礼拝説教<要旨>         2009年1月18日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書8:31−38
 説教題:「罪からの自由」
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