「わたしは去って行く。あなたたちは捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」       (ヨハネによる福音書8:21

 標記の主イエスの言葉は、十字架にお架かりになる約半年前に、主に敵対していたユダヤ人の指導者たちに対して語られたものである。だが、同様のことは、十字架の直前に、弟子たちにも語られた(13:33)。
 「わたしは去って行く。あなたたちは捜すだろう」と言われる。主イエスが世を去られて、敵対者たちだけでなく、弟子たちも、主イエスが自分たちにとって何者であったのか、十字架の死の意味は何だったのか、今はどこにおられるのかを問わざるを得なくなると言われるのである。
 次に、「あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」との厳しい言葉も述べられた。自分の罪について、清算を済ませて死の時を迎えることが出来るのか、と問われているのである。私たちは、ある程度歳をとれば、死に対する覚悟もでき、身辺整理や心の備えをしているつもりかもしれないが、修復されないままの人間関係や、主に委ねきれない頑なな生き方のまま、死へ向かおうとしてはいないか。
 更に、「わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない」と言われる。これは、不信仰な者は、主イエスと共に天国には行けないとの言葉にも聞こえるが、そうではない(14:23参照)。主の十字架の道は、一緒に行けないという意味である。主は、私たちが「罪のうちに死ぬこと」にならないために、ただ独り、十字架の道を歩まれるのである。主は「『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」(24)と言われ、「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということが分かるだろう」(28)と言われた。つまり、主の御臨在を信じることが出来なければ、私たちは罪のうちに留まらざるを得ないのだが、主が上げられたとき、即ち、十字架によって初めて、主の御臨在に気付き、罪から解放されたことを知るのである。主の十字架を仰ぎつつ、死の備えをしたい。

 米子伝道所主日礼拝説教<要旨>       2009年1月11日  山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書8:21−30
 説教題:「わたしはある」
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