あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりもはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。                         (ペトロの手紙一 1:7)

 ペトロの手紙の宛先教会のキリスト者たちは、異教世界の中にあって、日々軋轢があり、いわれなき差別を受け、伝道も困難な状況にあった。しかし、そうした状況をペトロは「苦難」とは呼ばず「試練」と言っている。「試練」とは神の御心によってもたらされるもので、そこで経験する苦しみによって、標記に述べられているように、信仰が精錬されて、不純物が取り除かれて、苦難の中でも神の恵みを心から喜べる、金よりはるかに価値のある、純度の高い信仰へと導かれ、キリスト再臨の時には、本来キリストのものである称賛と光栄と誉れが、キリスト者にも祝福として与えられるのである。 また、「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており」(18)と言っている。ペトロ自身はイエスの言動の全てを見聞きしていたが、イエスを十分に理解することが出来ず、裏切ってしまったが、復活の主に赦されてはじめて、本物の信仰と愛を持つことが出来た。信仰とは、自分の感覚や知識で納得することではなくて、キリストの愛のもとで、聖霊に導かれて、主の言葉に身を委ねることである。宛先教会のキリスト者たちも、主の十字架の赦しと復活の恵みの福音によって「魂の救い」(人間存在全部が罪から解放されること)を受けいれたので、キリストを愛し、信じることへと導かれたのである。
 このような救いの業は、ある日突然に起こされるのではなく、旧約以来の長い歴史の中で、神の御計画によって、聖霊の働きを通して進められているもので(1:1012)、宗教改革もその中で行われたものであるが、そうした救いの歴史の最先端に私たちもいるのである。そのことを覚えるとき、伝道の困難な中にあっても、言い尽くせないすばらしい喜びに満たされるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2008年11月2日 山本 清牧師 
(宗教改革記念日・神学校日)

 聖  書:ペトロの手紙一1:3−12(2回目)
 説教題:「金
(きん)より尊い信仰」                説教リストに戻る