月は辱められ、太陽は恥じる/万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり/長老たちの前に、主の栄光が現されるとき。
                     (イザヤ書
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 預言者イザヤは24章で、終わりの日には、すべての「地」が荒れ果て、どんな立場も地位も財力も支えにならず、楽しみや喜びが取り去られ、地震と大雨の大災害が起こるという、恐怖の有様を告げている。だがこれは、識者たちが指摘する地球の未来に対する警告などとは、次の三つの点で根本的に異なる。
 第一に、「主は地を裸にして、荒廃させ(1)、「その日が来れば、主が罰せられる(21)とあるように、ここに告げられている全ての出来事の主体は、主なる神である。世界の破滅は、人間の環境破壊や核兵器の使用やサタンの勝利によって起こるのではなく、神の御意志で行われるのだ。
 第二に、「彼らが律法を犯し、掟を破り、永遠の契約を棄てたからだ(5)、「地の罪は、地の上に重く(20)とあるように、世界の破滅は、人間が罪を犯して、神と人との関係、人と人との関係を乱してしまったことによるのであって、罪の問題が解決されなければ、避けることが出来ない。
 第三に、「わずかの者だけが残された(6)、「地の果てから、歌声が聞こえる。『主に従う人に誉れあれ』と(16)とあるように、世界の破滅の中でも、讃美の声をあげる「残された者」がおり、標記のように、シオンの山(エルサレム)で、万軍の主が王となり、栄光が現され、月や太陽の光さえ、余計なものになるという。この王とは、人間の罪のためにエルサレムで十字架に架かられた真の王であるイエス・キリストを指している。私たちは、この主を信じることにより、「残された者」となることが出来る。「わたしは都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊(キリスト)が都の明かりだからである。・・・」(ヨハネの黙示録21:22,23

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2008年9月28日 山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書24:1−23
 説教題:「主の栄光が現されるとき」                
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